ようやくこの数日、台所に立てるようになってきました。
10月ごろからほとんど料理ができなくなってた私。
ちょっとなんか作ったとしても、これまでバチっと決まっていた目分量が全然効かなくってひどい塩梅に。
ホント、「うわ、まずい」ってものが出来上がってしまう現実に、
焦るというか悲しいというか、なんともやりきれない気持ちになったものでした。
あれは11月頃だったかな。
それでもどうにか台所に立ちなんか作ろうとしてたとき、私、はっきり気づいたんです。
「ああ、食べ物の神様がいなくなっちゃったんだな」って。
私を護ってくださっていた食べ物の神様がすっ~っといなくなってしまったんだ、と。
そういえば、食前の祈り、いつも唱えていたマントラも、喉の奥が詰まったような感覚で唱えられなくなってた時期。
食材への敬意もなくなり、そもそも食への興味が次第に薄れ、そんな私のもとに居づらくなったのか、見切られたのかわかんないけど、ついに神様がいなくなっちゃったんだって思った。
これまでの私は、家族のため、うちに集ってくれる皆さんのために食事を作ることを心から喜びに感じていたし、
もちろん、あぁ大変!って感じることは何度もあったけど、
決して装備が整っているといえない自宅の台所での大量調理にも慣れ、うちの野菜を、私が作る料理を、みんなが美味しい美味しいって食べてくれることが本当に嬉しくて仕方なかった。
でも、私を支えていた何かが崩れ落ちてしまった時から、
私の中にあった愛、そして情熱の火が燃え尽きてしまったその時から、
私は台所に立つ喜びを完全に失ってしまいました。
その燃え尽きは数ヶ月におよび、
本当つい先日まで、
ナチュラルな断食か、
食べるとしてもご飯を炊きそこに味噌をのせて、か、
味噌と乾燥ワカメをお椀に入れて湯で溶くだけの味噌汁をすする程度。
あとは惣菜や冷凍食品に頼り、そして外食するだけになっていました。
私を知る人は、え、はるさんが冷凍食品を食べるなんて!って思うでしょう?(笑)
ねー。私もびっくりですよ。
でも、あんがい美味しいものあるんだね(笑)
最近は、コーンクリームコロッケが冷凍庫の常備品になってしまいました。
体にいいとか悪いとか、そういう判断、ものさしが崩壊した私にとって、どんなものでも、今、美味しいって感じれば〇になっちゃったんだよね。
そしてベジタリアンであることもやめてしまった私は、今や日常的にお魚を食べるようになりました。
っていうか、本当に、魚が美味しいって感じるようになってます。
我ながら自分の変化に驚く日々。
先日はついに寿司屋にまで行ってしまいましたよ!!
最初から最後まで魚だらけ、、、。
コース料理のなかで、クジラベーコンと金目鯛の目は食べれなかったけど、他は美味しくいただけました。
そんな自分に、なんだかものすごい「乗り越えた感」や「達成感」を感じるという、不思議な夜でした。
そうそう、魚を食べ始めた最初のころは体にも多々反応がでましたね。
例えば湿疹や顔に赤みが目立ちました。
あと劇的なのは体臭の変化。
ほぼ無味無臭の私でしたが、わき汗や体液がすっぱくなったりしました。
あと、驚くほどに思考が前のめりになって、
「何かを獲得しよう!」という想いが強く湧き上がったような気がします。
本当に、これまで考えなかったようなことに想いが引き寄せられてる自分に気づき、あ、これ魚食べ始めた影響だって気づかされたものでした。
いやね、最近、あちこちから、ヴィーガン&ベジタリアン卒業宣言を聞いている私ですが、
私自身卒業してしまって、なんというか、、、
大袈裟に感じるかもしれないけど、
宇宙的な開放のエネルギーを感じずにはいられません。
10数年間、食への愛着、これがいい、と信じてこだわり突き進んだ私ですが、
こだわりとはつまりは執着なわけで、
これがイイといえば、あっちはワルイと、
どこかできっちり否定してしまっている自分がいることにも気づいてはいました。
それでもできるだけ否定はせず、
中庸を目指して暮らしていたけど、
なんかそのあたりの誤魔化しも効かなくなってしまったのかもしれませんね。
ベジタリアンであることを手放した今感じてることは、
選択肢の広がりによる自由。
これまでの食生活で培ったものを見る目は養われているわけで、
また自分自身に必要なものと不必要なものはしっかり見分けられる力も身についてるからこそ、
そこに広がる新たな選択肢は、
純粋に喜びを提供してくれてます。
いうなれば、
守破離の守→破の時期を終え、
破→離の展開なんだろうなと思えて、
また新たなステージに入っていけそうな予感を感じてます。
(とはいえベジ&ヴィーガンを選択することもまた当たり前に素晴らしいことで、その観点もとても大切なことだと100%理解してのことです。)
ところで、食べ物の神様のことで気づいたことがもう一つあって。
1月に夫の誕生日があり、その日ばかりはなんか美味しいもの作ってあげたいなって思った私は、彼の大好物の春巻きを作ろうと台所に立ちました。
仕上がったものは、とても美味しい春巻きでした!
あのとき、食べ物の神様がふと私の存在を思い出したかのように戻ってきてくださったんですね。
その時私の中には、確かに喜びがありました。
これを食べる彼の笑顔を思ったとき、
私の顔にも笑顔が戻り、
喜びの質感、フィーリングが湧き上がりました。
はっとさせられましたよ。
そっか、この喜びこそが神様なんだと。
喜びを感じ、
その行為に心をそそぎ、
今ここに留まるとき、
誰のもとにもその神様は宿るんだと、
はっきり理解しました。
これまでたくさんの方々と一緒に台所に立ちました。
お料理が嫌い、
お料理が楽しくない、
うまくできない、
美味しくない、
いろんな方がいました。
私、いま、みんなの気持ちが痛いほどわかります。
本当に何にもできなくなっちゃうことってあるし、
どうしても楽しく感じないことってありますよね。
自分がそれを経験したことで、
今まで、皆さんから聞かされていたことが、
我が事としてはっきり理解できます。
と同時に、
誰の中にも神様が降り立つ可能性にも気づけました。
何をしてても、
そのこと、その行為に喜びを見出せば、
そこには必ず神様が宿る。
神様は内在する、私たち自身が神であるという本質に戻れた気がします。
この数日、久しぶりに、ちょっとだけ手数の多い料理ができるようになりました。
前ほどの喜びはないにしても、
少しずつ、あぁ楽しいなって感じる瞬間が増えてきました。
きっとまた私の中に、
食べ物の神様の居場所が生まれてくるのかもしれません。
**********
私が幸せでありますように。
あなたが幸せでありますように。
すべてが最善に導かれますように。
魂の喜びと癒しがすべての人に訪れますように