どうも、うめこです。
昨日立ち寄った喫茶店で耳にした「偽善」と言うコトバが気になって思わず聞き耳を立ててしまいました笑
発言の主は、コンビニエンスストアでおつりの1円2円を入れたり、財布の中に一万円あるのに100円しか寄付しないことを偽善に思えて、そういう行為ができない、というお話。
そういう行為が偽善かどうか、ということではなく、コトバとしての「偽善」が気になってしまって、キリマンジャロを飲みながらつらつら考えてみました。
偽善、ということは、その善意・善行を偽物だと思っているってこと。
偽物があるってことは本物があるってことなわけで。
本物の善意・善行があるならば、本物の悪意・悪行があるわけで。
いや、なにも悪意・悪行をないことにしちゃおうってことではなくね、善悪を本物認定するってちょっと怖いなって思ってしまって。
誰が認定するの?
他人にされても嫌だけど、おそらく自分の中で善悪を判断するのよね。
そのまなざしは絶対なの?
正しいの?
そう思ったらなんか怖くなっちゃって。
だから、これは善意なのかな?って疑うくらいが、自分の中で善悪を断じない余裕みたいなものが残されるんじゃないかしらと思って。
ニセモノがいいってことじゃなくて、ホンモノを作り出さないためにニセモノでいる。
本物のワルモノを作らないためにニセモノでいるって、けっこうやさしい考え方だと思うのよね。
偽善でいいわけじゃない。
偽善がいいの。
ではまた。
