「損してもいい」の裏っ側には

「損したくない」という思いがある

じゃあさ、

どうして損したくないんだろう?

そもそも、

何も知らない赤ん坊だった私が

どうやって損得を知ったんだろう?

お父さんが教えてくれた?

お母さんが教えてくれた?

学校の先生かもしれないね。

近所のおばさんかもしれないね。


じゃあさ、

どうしてお母さんは私に損させたくなかったんだろう?

それはさ、

楽しい思いをさせてあげたい

我が子の笑顔が見たい

残念な思いをさせたくない

我が子の泣き顔は見たくない

もともとはそんな大切な人のことを思う

思いやりなんじゃないかな?


例えば、、、

せっかく京都まできたんだから

いつもとは違う装いで

いつもとは違う場所で

いつもとは違う経験をさせたい

と、ギリギリまで粘ってくれた

この人とかこの人とかこの人みたいに。


それがさ、だんだんと

お母さんのそんな思い(期待)に

応えよう、

応えなきゃ、

応えるべき、

ってなっていって、終いには、

応えないとお母さんが可哀想、

っていうふうに偏ってっちゃったんじゃないかな。

期待に応えたい。

お母さんのよろこぶ顔がみたい。

損したくない。

こんな風にね。

だから、

「損してもいい」って

お母さんの期待に応えなくてもいい、

お母さんはあれでしあわせなんだ、

っていう、妖怪かわいそうを退治する魔法の言葉でもあるのかもしれないね。

そんなことを思ったよ。


そんでもってさ、

「損してもいい」って決めるだけで

やっぱり損しないようにできてるんだ。

だってさ、私の周りには、私に損させてやろう、なんていう奴はそもそもひとりもいないんだもん。

祇園花月におしゃべりの勉強にきていたこの人だってきっとそうにちがいない(笑)

空気を読むように、

勝手に感じた期待に応えることをせず、

差し出された次のステージを

ただただ楽しんでるだけで

気がつけば

「こんな楽しい日だったんだよ」

と、誰かにおすそ分けしたくなるくらい

ありあまるものを手にしてるんだ。


もう誰かの期待に応えなくていい。

あなたは自分で楽しいを決められる人だよ。

わたしは自分で

楽しいも悲しいも嬉しいも怒りも

好きも嫌いも

ぜんぶ自分で決めていい。

「損してもいい」って、

そんな私自身への信頼の言葉でもある。


「損してもいい」の向こう側に

いろんな景色が見えた夏の京都でした。


でも!!!

浴衣de 京都はリベンジするわよっ!

待ってろよ~~~。

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