先週のバレンタインの夜。私はブラウニーを焼きました。

髪を切ってから帰るという電話を受けて、お夕飯の支度で余った時間を使って作り、
食事中に焼いていました。

焼きあがって、冷ましながら片づけをして・・・としているうちに
気がつけば21時を過ぎていました。

私は、久しぶりに焼いて嬉しくなって、お茶を淹れて食べようとしましたが
R君は「明日、食べる~shokopon」と言うではありませんか。

なので、私は一人でパクパクと美味しくブラウニーを食べちゃいましたラブラブ

なるほど、いつも「21時過ぎの飲食は健康に良くないからやめようね」と言っていたことが
習慣になったワケだわ~ パンダ と思い、関心さえもしていましたが
そこで「なんで~ 怒 、せっかく作ったのに~怒る 」とならなかった自分には気づきませんでした。

後日、Facebookを見た友人とブラウニーの話題になり、その晩は私しか食べなかったんだ~笑 と話したところ、
「え、怒らなかったの?」と言われて、気がつきましたははははははは

さてここで、考察しました無言


家事でも、仕事でも、勉強でも、もし「やらされている」「やってあげている」と思ったら、
そのとき自分は主人公ではなく、奴隷(?)のようなものになっていると言えるんじゃないでしょうか。
自分が決めているような感覚でいても、実際それは錯覚しているのと同じだったり。

でも、「やらされる」「やってあげている」ではなくて「主体的にやるんだ」「やりたいから」という
気持ちで取り組むと、状況は変わってきますニコニコ

「やらされている」「やってあげている」は、苦しみや悲しみにたどり着いてしまうかもしれませんが
「自分からやる」「やりたいからやる」となれば、それは喜びや楽しさにつながります。


いつも、すべてのことにおいても、自分からやるという心を持てればいいですが
完璧にはできないので、気づいたときに心がけたり、できたときには「きゃ~」って自分を褒めて行ければOKなんじゃないでしょうか。

本当に自分ができることって、それぞれの立場や役割、場面のなかで
自分を見失うことなく、自分ができることを実行していくことだと思います。


小さなことでも、1つずつ。できることから、コツコツと音譜


あの日のブラウニー作りは、R君を喜ばせたいという気持ちもなくはなかったでしょうが
それ以上に「作りたいから作る」という気持ちのほうが大きかったのだと思いますパンダ


↓ 先日、講座でお世話になった女性とランチをしました ↓
前菜ビュッフェは好きなものが沢山あり、おかわりしてしまいましたテヘッ

共通点や興味、価値観が合うと時間も忘れてお喋りしてしまいますねカラフルなお花♪



Kさん、Sさん、ありがとうございましたペコリー