私が追突した2台の方とは、

本当に不思議な因縁を感じます。

 

「因縁」という日本語は、馴染みのない方にとっては

何か怖いもののように感じられるかもしれませんが、

簡単にいうとご縁があるということです。

 

調べてみると、

 
いんねん
【因縁】
  1.  
    1. 
    仏教
    物事はすべて、その起原(=因)と、果を結ばせる作用(=縁)とによって、定められていること。転じて、物事の持っている定まった運命。
     「前世からの―とあきらめる」
     
  2. 2. 
    理由。由来。
     「いわれ―、故事来歴」
     
  3. 3. 
    ゆかり。関係。
     「彼との―は浅くない」

 

と書いてありました。

 

どうしてそう感じるか書いておきます。

 

 

私自身も事故前の記憶がなかったのですが、

私が直接追突した方も、記憶がなくなったのです。

 

警察立ち会い後、それぞれレッカーなどしてもらい、

現場からみんなが分かれた後で、

なぜそこにいるのか分からなくなり救急搬送されたとのことでした。

一泊二日で検査をされて、衝撃による記憶障害だろうということで帰宅されています。

 

事故自体の記憶がなく、衝撃も覚えておらず、私山本の名前も顔も覚えてないんだと、

数日後にご挨拶に伺ったときに教えてくださいました。

 

私が悪い事故なので、もう謝るしかない状況だったのにも関わらず、その方の記憶がないこともあってか、申し訳ないほどに私の状況や体調を心配してくださり、わたしは恐縮しっぱなしでした。

 

体調不良が何もなかったことも、不幸中の幸いでした。

おそらくですが、エアバックが2つとも開くほどの大きな衝撃によって、私も、その方も記憶が飛んだのではないかと、私は勝手に思っています。

ふたりとも、どこも何も痛くないし、怪我もないし、不調がないんです。

記憶はないんですが。

 

人の身体って、不思議です。

そうしないといけなかったんでしょうか。

大きな精神的ショックでこういうことが起こるのかもしれません。

 

 

もうお一方は、持病をお持ちで、普段通っている病院への通院を少し回数を増やしてされたそうです。

その方も、申し訳ないほどに私を心配してくださり、少し驚くような話を聞かせてくれました。

 

「山本さんの車が誤作動を起こした可能性はないですか?」

そうご本人から聞かれて、私は意図がわからず少し困惑したのですが、

「点検などは定期的にしっかりしているので、おそらく誤作動はないと思います。」とお伝えしました。

 

その方は、この地域の水路の多さと、そこに立っている鉄塔の多さに不安を感じているんだということを私に教えてくださり、最近の電気回路を多く使うもの(今回は車)が影響を受け、人体にも影響するんじゃないかと思っていると教えてくださいました。

私はそこは気にしたことがなかったので、なるほどそんな考え方もあるのかと聞かせてもらいました。

 

また、ご自分のご家族周りに、過去追突事故が多かったことを思い出されたとのことで、何か私(その方)が気づかなくてはいけないことがあると言われている気がします、気づくきっかけをいただけてありがとうございます。と、そんな驚くしかない話をしてくださいました。

 

不思議ですよね。

 

大きな衝撃のあった事故後とはいえ、

意識障害が加害者、被害者共に起こり、

怪我や不調は何一つなく、

(その後にわたっても、特に不調はなかったとのことで、本当に安堵しました。)

 

もうひとりの被害者の方からは、

それこそ家系の深い何かについての話を

初対面なのに聞かされる…。

 

前の記事にも書きましたが、

自分自身、事故前に起こった数々のお知らせに加え、あまりにもメッセージ性を感じすぎて、

何を伝えられているのかと

知りたくて探したくて考えたくて

いてもたってもいられないほどでした。

 

ですが、直感的に、これは探すものではない。

「点」を「点」としてただ感じていくことで

何か得るものがある流れだと感じました。

私はどうしても知りたいことがあると

自分の筋肉反射テストを取ることもありますが、この時はそういうことはせず、

ただただ、「今ココ」の積み重ねを意識して生活しました。

 

 

朝の緊急電話のアラーム、

居眠り運転をするおじさん、

身体が感じた心地悪さ、

それ以外の、私にとってのピンときた話。

 

この車は、13年前に亡くなった父の形見でした。

 

母は思い入れのあるこのクルマを父本人のように感じていたのか、捨てることもできず、数年間車庫に置き古されていました。

妹夫婦が海外から日本に帰ってきて、車が無いからと使っていた時に、外の駐車場にある鉄パイプに当たり後ろが大きく壊れ、それをきっかけに新車を買うから手放すという話が浮上します。

 

その時、母がなんとも悲しそうな顔をしたのを私は察知してしまい、母の気持ちが納得するまでは私が修理して乗ろうと決めました。

その後も、調子が悪くなればお金をかけて直し、この事故の数ヶ月前には、かなりの大金をかけて大手術をしてもらい、あと10年は乗ろうと決めていたほど、大切にしていた大好きな車でした。

 

そして、この車には、うちの子の誕生日がついていました。

 

子どもが生まれた時に、父が大喜びをして、特別に喜んでくれて、この子はうちに養子にもらおうかとまで言いながら、彼の誕生日をプレートにつけました。

この車は父が初めて購入した新車でした。

この車自体にも因縁があるんです。

生まれた息子を乗せて、病院から帰っていた時、新車だったこの車は、オカマをほられました。

大切な車に、大切な生まれたばかりの孫、それを傷つけられた父。

新生児の息子を乗せていたこともあり、

いつもは穏やかな父が、珍しく怒りを表現し、きつい口調で相手を責めました。

あんなに怒っている父を見たことがなかった。

 

念がね、入りまくってる車だったんです。

いろんな念が。

 

母の念も。

父の念も。

誕生日がついた息子の念も。

もちろん私の念も。

 

そういうものが、衝突で全部まっさらになったように感じたんです。

 

私が起こした事故なのに、

こんなことを言うなんて不謹慎だと思われるかもしれません。

 

すみません。

したことについては、もちろんきちんと対応させていただいて、示談も成立した上で、この記事を書かせてもらっています。

わたしのおかしな妄想だと、

不快な方は記事をこれ以上読まずに離れていただけるとありがたいです。

 
見えない部分を大切にして生活してきましたが、今回の事故では
見える世界と見えない世界どちらものメッセージが強烈で。
見えない部分も残しておきたいのです。
 
事故の衝撃の強さから、怪我があってもおかしくないのに、完全に護られたと思う状況でした。
 
・ふたりの記憶が飛んだこと
・ふたりとも記憶は飛んだが、身体の不調が何もなかったこと
・もうおひとりの、家系を思わせる不思議な言葉
・被害者の方々が私を申し訳ないほど心配してくださり、とてもありがたい対応をとってくださったこと
・その日に起こったたくさんの不思議なお知らせ
・父の形見の車
・父の孫への想い
・その車の記憶
 
ここに加えるなら、その孫の現在や、彼自身の特性なども書き連ねたいくらいです。
 
何も無いわけがない状況でした。
 
私は、この事故を通して、
自分自身の小ささと、無知さとを知って
 
世界の優しさ、
宇宙の完璧さを知りました。
 
見えない世界はつながっていること、
物を介さなくてもいいこと
不必要なものは手放し、新たな必要なものを迎え入れること、
おかげさまと感謝の世界、
委ねるという感覚
物質の世界の法則、
人間の美しさ、面白さ
 
あるものと、ないもののバランス。
それぞれの役割。
 
たくさんのことを感じたり、
何かが内側で書き変わっている感覚を味わいました。
言葉にまで降ろせない、少し違う場所での感覚も。
 
そして、どう捉えるかが全てだということ。

 
 
見えないものが変化していると同時に、
見える現実の世界の私の感覚も
少しずつ変化しています。
 
人として、真面目に、まっすぐに
このまま愚直に生きていこうと、
改めて思わせてもらっています。
 
 
 
前提、刷り込まれたもの、癖が私を作っていて
それが及ばす影響の大きさ。
それを意識することができ始めると、
本来の自分として、
手放すものを手放せ
得るものが得られる。
 
どう生きたいのかを
改めて問われた大きな出来事でした。