事故を起こしてから、検査結果が出た所まで
前回までに書きました。
内容が事故なので、楽しくない記事ですが
起きたことを覚えに記録しているので
みなさまにとっては、運転への注意喚起にはなるかと思います。
もしよかったらどうぞ。
病院での精密検査をした理由は、
事故当時、私の記憶が事故の瞬間からしかなく、それ以前の記憶がなく、何も説明できなかったからです。
状況証拠から推測することしかできませんでした。
警察の方から、てんかんなどの持病がひそんでいて、発作での意識障害なのではないか?と問われ、検査を勧められ、自分でも分からなくて不安だったために検査を受けました。
結果的には、てんかんであるという「何か」は見つからなかったため、意識消失していたのか、事故による衝撃での意識障害か判断つかずということになりました。
私は、この時、このてんかんの検査さえ終われば
いろいろハッキリして終わると思っていたのですが、そうではありませんでした。
人身事故扱いとなったからです。
事故後に、被害者の方が怪我や体調不良で病院を受診し、その後警察に診断書を提出した場合は人身事故の扱いになるとのことでした。
病院へいっても診断書を出さない場合もあるようで、その場合は物損事故で処理されます。
(診断書を出す出さないは個人の裁量なのでしょうか?今回は、担当した警察官が関係者みんなに、受信後診断書を提出するように伝えており、それに従う形でした。保険会社の担当者に聞くと、警察署への診断書の提出を強制されることはないと説明を受けました。
私のてんかんの可能性がまだハッキリしていなかったことで、診断書の提出を強制されたのかな…。危ない事故が起こる可能性がある事案として、戒めのためにも強制されたのかな…。
救急車で搬送されたからかな…など、想像しています。)
今回、人身事故となったことで
警察署での調書を作る必要がありました。
こんな経験ももちろん初めてで、
警察署に出向くことさえ、怖さで震えました。
今まで警察署へは、
免許の更新にしか行ったことがなかったのに、
(免許の更新の時でも、あまり心地よくない場所)
自分が、加害者として警察に呼ばれてる…。
冷静な脳みそは、逮捕はない、牢屋に入ることもない、もしもがあってもネタになると思えば死にはしない、と順を追って考えているのに、
妄想があっちやこっちや忙しくて、
その瞬間瞬間に身体が反応して、
もう生きた心地がしませんでした。
感情と、それに伴う身体の内側の変化が激しい。
本当に、自分自身の内側で、
怯えて狂いそうな、パニック気味の自分と
沈着冷静で、全てを俯瞰している自分が
共存していて、
それが同時に感じられることに気持ち悪さがあり、何か作業に集中していたくてたまりませんでした。
仕事に行かせてもらえて、仕事に集中できて、本当に助けられました。
自営の方の仕事も、休むことなくしました。
個人セッションや講座、シュタイナー関係も、
今ココに集中することで、
大元にかえれる自分の強さを感じることができました。
起きている内側のあれこれとは、自分の意識次第。切り離すことができる。
以前から知っていて、実践していたことでしたが、このような状況でも豊かさへ身を置くことができることを、改めて証明でき、自分の自身にもなりました。
調書を作る日、小雨が降っていました。
警察署での調書の作成。
まだ事故後の運転も怖く、その上、雨。
かなり時間に余裕を持って出発したため、到着が早すぎました。駐車場で読書が進みました。
警察官の方が別の建物に入ったり出たりする様子も観察しながら。
この日、任意で押収されていたドライブレコーダーの映像を、事故後はじめてみせてもらいました。
警察に指摘されたのは、数回のふらつき。
居眠りをしていた可能性を言われました。
ふらついたすぐ後に、気づいて元に戻っていると。
ボコボコした塗装の、音の鳴る中央線なんでしょうと。
でもその道は、音の出る中央線ではないんです。
本当に、ふらついてはいるけど、すぐ戻っていて、車間距離も一定、ブレーキなども必要な時にふんでいる。
前方に事故とは別の車が走っており、
常に、その車とほぼ一定の車間距離で
事故現場の信号までにあるすべての信号でも、
減速しながら、きちんと停車していました。
最後の、追突した信号の箇所だけ…。
居眠り?
本当に、記憶がないので、全くなんとも言えない状況でした。
刑事ドラマでよく見る、取調べ室。
本当にそのまんまでした。
マジックミラーだなと思う窓もありました。
指定された印鑑しか持ち込めず、
もう犯人そのもの。
(加害者だから、犯人か…)
水を飲みたくて申し出た時も、
「では休憩にしましょう」と時刻を書類に記載されてから休憩に。ついでにお手洗にも行き、その後戻ると、また時刻を記載して再開です。
自分の本籍地や、出身校などの学歴、職歴、犯罪歴、家族構成など確認された後、事故について調書の作成となりました。
調書には、それら全てが記載されました。
が、記載されなかったことも。
それは、理論的科学的に説明できないこと。
私にとっての体感覚、その日起こっていたこと。
前の記事にも書きましたが、形に残していく、基準のハッキリした世界なので、形ない世界のことは残せないということでしょう。
また、私の自営についても記載されませんでした。分野が扱いづらいのか、もしくはちゃんとした株式会社で働いているのなら、そちらをということなのでしょう。
警察官の方からすれば、心象が良くなると感じたものを選択されたのだと思います。
私も理解はしています。
この社会の構造も、今回の事故でかなりハッキリ理解できるようになりました。(遅いのですが…)。
でも、自分にとっての真実は、周囲にとっての真実ではなく、見えないものは採用できない社会なのだということを見せつけられ、寂しさや、苛立ちも覚えました。
いろんな境界線があることで仕事がしやすい状況になっているのだと思うので、仕方がないというか、それが合理的なのだと思います。
線引きをすればするほどに、真実からは距離ができるのはどの分野でも同じだけど仕方ないのでしょう。
3時間ほどかかったでしょうか…。
調書作成が終わり、
この調書を検察に送ることを教えてもらいました。
おそらく不起訴になるのではないかとは思うけど、もちろん言い切ることはできない。
何かしら書類が届くと思うので、気にしていてくださいとのことでした。
もう、疲れ果てていました。
緊張で。身体がカチカチでした。
この段階で終わったと思っていたんですが、
まだ終わりじゃなかった…。
知らないって、見通しが立たないから困りますね。
でも、こんな経験、そんなに多くの方がするものでもないですよね…。
私にとっては、長い長い時間です。
まだ続きます。




