おはようございます

ラマトの森 山本陽子です



起きる出来事は本当に様々。


先日わが子が事故をしました。

自転車と乗用車の衝突。

どう聞いていても、彼に非がありそう。


起きたことは良くないことです。

学校から連絡があったときには

心臓がどうにかなるかと思いました。


朝の「行ってらっしゃい」が、家族との最後になる可能性もあると過去に思ったことがあるので、それ以来は、私が家にいる時は欠かさず、玄関で、笑顔で家族を送り出すことを徹底はしてるけど…


本当にいろいろとよぎりました。



ありがたいことに

自転車は大掛かりな修理に出しましたが、

彼は大丈夫だったので。

ありがたいことです。


今後、時間の経過と共に

身体に異常や不具合がでないといいなと思いながら、近いうちに身体を診てもらいに連れて行こうと思っています。




何か良くないことが起こった時、

これをどう捉えるか。

本当にそれに尽きると思います。



彼とは、この事故をきっかけに

日々の生活について話し合うことができました。


思春期真っ只中、

最近親の(特に母の)言うことは

彼のハートには全く届かなくなっていたので


今回のことは

とてもありがたいタイミングでした。


彼の生活面についても

事故が少しでも気づきにつながり、

自分で考え行動できるようになる、その勢いがつけばいいなと思っています。





事故ではありませんが、

同じような

「衝突」について、

人とのトラブルを聞く機会があります。


そういう衝突も

やはり捉え方次第で

学びにもなれば、

恨み辛みのネガティブな念で

身体を痛めることにもなり得ます。



正直なところ、人と人との衝突について話をどれだけ伺っても、私はその場にいませんでしたし、もうお一方の言い分も聞いてみないことには判断はできません。


が、

「わかってほしい!」という想いや

「こんなに苦しめられた」という想い、

「あの人はこんなに酷い人で、私はこんなに可哀想なのだ」という被害者意識が


痛いほど伝わってきます。



わかります。


私も、人とぶつかったことはありますし、

そんな風に人に言いたくなって聞いてもらったこともあります。


信じている人との衝突だと

より痛さも増しますよね。



でも結局のところ、

その想いを自分自身がとことん感じるしかなくて。


そして、自分はどうしたいのか?

という本当の望みを探り当てるしかないんですね。



自分はこんな風にはならない!

あの人はこんなこともできない人間なんだ。

私はもっとわかっている。


そういった二次的な感情のような思考も

ただ感じて、自分で気づいていくしかなくて。



私は話ができなくて寂しかった。

きちんと相手と話がしたかった。

わかりあいたかった。

理由が知りたかった。

丁寧に対応されたかった。



そんな風に、

自分の望みを掴んでいく。


そして、

相手はそれを私にしてくれなかったけど、


じゃあ私は私にしてあげられてるだろうか?


と、少し自分に投げかけてみる。


自分に対してのこととして捉えられるようになったくらいで、きっと、やっと、その時私がしていたことは相手にとってどうだったかな…と、立場を逆転して俯瞰してみられるようになるんじゃないかなと思います。


日常的に俯瞰して見られる人って

どのくらいいるのかな…と思います。


感情についても

本音をつかむことも

俯瞰することも

練習だし、慣れです。





いろんな衝突がありますけど、

衝突とか、

不具合とか、

違和感とかっていう、


スムーズに行かないことって


本当の自分に戻るための

気づきで、ギフトだなと感じます。




もちろん、そういう風に

全部がぜんぶ深い所と結びつけなくてもいいんですよ。


ノイローゼになったんじゃあ

本末転倒というか…笑


自分なりの

いい塩梅ってあると思うので。





どう捉えるか。


このコツを掴めだすと、

世界はめちゃくちゃ平和になります。



自分が物事をどう捉える癖があるか、

それに気づいてみるだけでも

何か掴めるものがあるかもしれませんね。



ぜひ、答え合わせではなく、

自分のしていることの振り返りをしてみてくださいね。