こんにちは。
ラマトの森 山本陽子です。
 
 
感情ノートが
活躍しまくっているここ最近。
 
 
感情ノートは、
私が自分の感情の機微を書きまくるノートです。
 
それは、激しかったり苦しかったりもしますが、
内側を出すことには安全で最適で
 
なによりも自分自身を
冷静に見つめることができるので、
最適なツールとして
私はずっと自分自身に書く時間を与えています。
 
 
 
私自身の傾向として、
周囲があまりにも広く見えるので
必要ない雑音も拾うし、
人様のことにまで首を突っ込みがち…
 
ちょっとした闇も引き寄せるので
書くことで自分のことと他人のことを線引きしたり
振り返ったり
 
特にくりかえす感情については
なにが絡んでいるのかを
じっくりと見ることにしています。
 
 
 
 
マイナスな部分から始まったノートの書き出し
特に強制的にプラスに変えることなく、
そのマイナス事態を抱きしめるという結末。
 
いつもは文字だけなのに
きゅうに人が見えて
それをなぞるように描いてみると
 
驚くほどの涙と
鼻水に歓迎されて
悦びが溢れる
感情ノートの1ページとなりました。
 
 
 
ここのところ、
友人との間でやりとりされる感情。
 
 
私が蓋をしている感情について、
出してごらん。
どんな感情であっても
わたしらは受け取ってあげる。
どんな陽子ちゃんでも受け入れる。
止めずに出してごらん。
 
そんな風に言ってもらえたり。
 
 
かと思えば、
私が自分の感情を吐き出すことを
人様に対してしていたりもする。
 
「これはどうしても許せない。」
どうしてもじっとしていられなくて
その思いを伝えたけど
 
相手にとっては
人生でこんなに怒りを人から向けられたことがない。そう言われた。
 
そうだろう。
私もこんな自分初めてで、
どうしてこんな感情を感じなくてはいけないのか
正直わからなくて
友人関係さえ崩れるんじゃないかと恐々だったり
以前より距離を感じると寂しいしかない。
 
 
でもなぜか私のハートの奥は温かいままで…
 
その不一致にずっと
ハテナがついていた。
 
頭では理解できない状況。
 
 
でも、寝て起きたらわかったことがある。
愛からの行動だった。
そう言い切れる。
だからあったかかった。
それは、相手がどうとらえようといいんだ。
 
私は愛から行動した。
それを自分でほめてあげたい
そう思った。
 
 
 
そして、もう一つ平行して思うのは、
怒らされてた。ということ。
 
この感情は、
もしかすると相手の内側にある感情なんじゃないだろうか。
 
私はそれを映した。
 
 
最近こんなことはあまりなかったから
わすれていたけど
どうしてかわからない出来事が起こったり、
どうしてそう言ったかわからないことがあったり、
どうしてそこに行ったかわからないことがあったり、
 
そんなことがある。
 
うごかされる。
 
導かれる。
 
突き動かされる。
 
喋らされる。
 
 
 
そんなことが
見えないモノを重視していきていくと
起こったりすることがある。
 
 
 
でも、それが繰り返されると
もうそういうもんなんだと
そう思えるようになってくる。
 
 
だから、世の中で
あまりにも過激な発言をしている人がいても
その上っ面だけを捉えるのではなく
その人のハートを見るようになったり
 
その人がどんな素晴らしい人だとしても
そんなにステータスに振り回されることはなくなる。
 
 
人様の
簡単に見えるステータスやラベリングではなく
その内側の光や闇を見るようになる。
 
 
それは、大人だけじゃなく
子どもにたいしてもそうだし、
あらゆるレッテルがはがされていく。
 
自分のなかに残っているレッテルについては
わざわざ意識させられて気づく流れになったりもする。
 
 
 
 
私は目に見えるものを
あまり見ていない。
それがいいのか悪いのか
ちょっとよくわからない。
 
でも、バランスをとりながら行きたいなとは思う。
 
 
 
どんなあなたでも大丈夫だよ。
 
そう私が人に言ってあげるためには
私自身がどんな自分も大丈夫だよと言ってあげられないとなぁ。
 
抱きしめる日々が続きます。
 
 
 
 
感情ミーティング、
私にとってはルーティンです。
 
みなさまの感情に寄り添うこともしています。
半年間仲間とシェアし合い、
素直な自分と出会う。
 
ワークあり、チャネリングあり、カードあり、ブレインジムあり、
とんでもなく全出しの感情ミーティング(笑)
 
みなさまのご参加お待ちしております。
 
 

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