最小限のモノのみの生活は、とても快適でした。

 

何もない部屋は、掃除がとても楽。

モノをどかすことがないから、

箒でさっさと履けるし、

 

そもそもモノがないのだから、

その上に溜まったホコリを払う必要もない。

 

お皿が最小限だと

洗い物がすぐ終わる。

 

モノが少ないことは、家事の時短になると気づきました。

 

そして、服が最小限だとどれを着ようか

悩みようがないので、これもまた快適で時短に繋がりました。

 

あれもいけてない、これもいけてないとぎゅうぎゅう詰めのクローゼットからくしゃくしゃの洋服をひっぱりだして、服の山を見てため息をついていた独身時代の私とは大違い。

 

そして、新な発見は、

モノが多く雑然とした風景(家の中ですが)は

いかに目からの雑音のような情報が多く

脳を刺激しているのかということ。

 

モノが少ないと、目にする風景がスッキリしるからか、頭がなんだかスッキリするのです。

 

真っ白い壁を見ながら、「殺風景も悪くない」と思いました。

そして、自分の育った家を思い出し、結局母親と同じことをしていると笑ってしまいました。

 

 

その後、「ミニマリスト」という言葉が流行ったから、母親は流行の先端を行っていたのかも...。笑

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ホテルが快適なのも余計なモノがなくてスッキリしているから。

 


 

そうそう。

もう一つの忘れられない出来事が...。

 

小学5年生の息子が野球チームの仲間全員を

転校前に家に呼びたいと、言い出しました。

 

じゃ、カレーパーティーでもしようか!...と、言うことになり、20人近くの少年たちが我が家に集まることになりました。

 

食器はもちろん足りないから

紙皿とプラスチックのスプーン、紙コップ割りばしで。

 

鍋やフライパン、家にある道具を総動員して

カレーを作りました。

 

社宅のママが

「安田さんち、鍋、足らんやろ」

と、1鍋カレーを作ってきてくれました。

 

テーブルも椅子も足りないから、

ふすまを外して座卓替わりに。

(何の上に載せたのだったかしら)

 

みんなでワイワイガヤガヤ。

小さな妹たちも一緒になって、楽しそうでした。

 

「モノがなくても楽しく工夫で乗り切れる」

この体験がちょっとした自信になりました。

 

少ないリソースを最大限に利用して、工夫する。

カッコよく言えば、クリエイティブ。

 

これは、おそらく戦前の日本人は普通にやっていたことではないかと思います。

おもちゃも今ほど売っていなかった時代には、子どもたちもあるモノで想像力を働かせて遊んでいましたよね。

 

私は、かぎっ子で家で一人で留守番して子ども時代を過ごしましたが、

結婚して初めに住んだ社宅は

子どもを通じて、家族同士の付き合いがあり、

お互いの家に行ったり来たりしていて

何かと集まることが多かったので、

その経験が活きました。

 

「モノがなくても工夫で楽しく乗り切れる」

 

この経験を私が資格を取った時の

整理収納アドバイザーの2次試験で

発表して、私は整理収納アドバイザーになりました。

そして、今、このことをブログを書いていることを

当時の私が知ったら驚くでしょうね。

 

当時の私は、半分遊びで面白がってやっていましたが、

 

「無から有を生み出す」とか

「今あるモノを最大限に活かす」とか

「小から大を生み出す」とか

人間は本来、クリエィティブなことが好きなのかも。

「思わぬ発見」に脳は快感を感じるのでしょうか。

 

この時の1カ月の経験は、

「無くて困った」というより

「無くてもできる」といううれしい記憶しかありません。

 

私の中でも

「モノがたくさんあることが豊かでいいこと」

から

「モノが少ないことが豊かで楽しいこと」

に変わりました。

そして、他人と比べて自分を卑下する癖が少し和らいだ気がします。

 

それでは、長くなったので、今日は、この辺で。