下に掲載したのは、4月5日に朝日新聞が札幌市長にがれき受け入れ拒否の理由を尋ねたインタビューです。この札幌市長へのインタビューには放射性物質の取り扱い、内部被ばくに関する本質的な問題がズバリ語られており、市長がローカルな問題について国外の知見を含めて熟慮したことがよく分かります。
これを読むと安易にがれきを拡散させてはならない理由が誰にでも分かるはずです。
ここで私からもはっきりさせておきます。市長のおっしゃるとおり、現在の科学者は誰一人「内部被ばくの正確な評価法」を現在のところ確立できていません。セシウム一つとってもECRR(欧州放射線リスク委員会)は、ICRPの10倍以上の危険性があると評価しています。
このようなときに「このベクレル数なら安全だ」といっている「有識者」は「科学者としての素質」を欠いた人間であることをここに断言致します。
「わからないこと」は「わからない」ときちんと認めることが科学者としては最も重要なことです(完全にわからない状態でも決断をしなくてはいけないのは「政治家」の仕事です)。
この点では私がよく引用している武田邦彦教授についても、「キロあたり40ベクレル以下の食品なら子供でも安全だ」と言っている点では「認識が甘い」とハッキリ申し上げておきます。 これはあくまで社会科学の分野に属する「予防原則」の考え方を用い、暫定的に多数決で合意したことであり、(自然)科学的根拠を明確に示すことはできません(この点は武田教授は認めていますが・・・ 「安全」という言葉だけは使ってはいけない
)「がれき拒否」 札幌市長、決断の理由 (朝日新聞 2012年04月06日)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001204060003
東日本大震災のがれきの広域処理=キーマーク=要請に対し、札幌市は国の示した基準では「受け入れられない」と回答した。上田文雄市長に5日、決断の理由を聞いた。
■放射性物質、時で解決せぬ
■最悪の事態 選択前に示せ
――「受け入れられない」と回答した一番の理由は
普通のがれきと放射性物質は違うということ。がれきは時間で解決できるが、放射性物質は時間で解決できない。内部被曝(ひばく)の問題もある。いま国が示している基準は外部被曝についてだ。内部被曝については世界的に確立した理論がないのが現状だと思う。
しかし、管理をしている間に、必ずそこが問題になる。広域でバラバラな管理基準になることが十分予想される。長い時間管理する中で土壌汚染が生じれば、経口摂取の危険性もある。
――時間で解決できない、とは
福島第一原発事故のときに政府が盛んに言っていた「直ちに影響はない」というのは、言い換えれば「将来は分からない」ということ。5年10年の間に被害が現実のものとなったら大変なことになる。
――国が示す基準に疑問を投げかけているが
どこを見ても、放射線と人間の関係についての深みのある情報が提供されていない。いま示されている数値で本当にクリアできるのか、埋めてしまえばいいという問題なのか、政府からは説明がないように思う。誰も確証を持っていないのに、地方を分断するような判断を迫るのはよくない政策ではないかと思う。
――どのくらいの数値ならいいと考えているか
「何ベクレルならいいのか」というのは非常に難しい質問だ。「これなら大丈夫だ」ということは言えない。ただ、「今より環境を悪くしたくない」という思いだ。札幌市内の清掃工場の焼却灰からは1キロあたり13~18ベクレルの放射性物質が検出されている。僕が「(がれきを)受け入れない」と言えば、プラスアルファは防げる。
危険性の高い環境をつくるのはリーダーのやるべきことではない。最低限言えるのは、被災地から場所を移さずに完全な管理下に置ける処分場をつくり、全国民の税金を使って押さえ込むということを徹底してやるべき、ということだ。
――受け入れに前向きな自治体もある中、「苦しい選択をした」とも述べている。「地域エゴ」と受け止められないように、どのように理解を求めていくのか
それぞれの自治体の首長は、それぞれの状況に応じた市民の安全を考えておられると思う。「困っている人がいたら助けるのは当たり前ではないか」という大合唱の中で、ソロで頑張るのはなかなか厳しいものがある。だが、受け入れに手を挙げているところも、同じことを言っているのではないか。札幌だけが際立ったことを言っているわけではない。今だけ我慢してできる問題と、放射性物質を管理しなければならないという時間の長さの問題がある。そこが完全に欠落した議論になっている。
最悪の事態は何かということをきちんと明らかにして選択させることが重要なのではないか。「安全だ、安全だ」では、原発事故の時と同じだ。放射性物質の扱いについても、「最悪の場合はこうだけれども、やってくれるか」ということでの選択でなければならないと思う。
(聞き手・芳垣文子、石間敦)
