グリンドバッテンヘンホフ

 

 

 

 

 

 

 

僕は今、精神科の待合室にいる。

確かに体も心もクタクタだけど、なぜここにいるかが思い出せない。

30人程座れる椅子は満席だ。

患者たちは一様に陰鬱な表情でうなだれている。

そりゃそうだ。

ここは精神科なのだから。

おそらく僕も陰鬱な顔をしているのだろう。

そして僕はここにいる理由も経緯もわからずに、ただ座っているのだ。

 

さてそんな僕の頭の中を先程からある言葉が駆け巡っていた。

 

グリンドバッテンヘンホフ。

 

脳裏に巣くうこの言葉はなんだろう。

ものすごくまがまがしいものの気もするし、逆に清らかで聖なるものの様な気もする。

ともかく頭の中がグリンドバッテンヘンホフでいっぱいだ。

 

時折スピーカーから患者への呼び出しがかかる。

「山中さん、3番診察室にお入りください」

「谷本さん、4番診察室にお入りください」

 

ああ、また頭の中から声が聞こえて来た。

グリンドバッテンヘンホフ。

グリンドバッテンヘンホフ。

 

ん? 聞こえるのは頭の中じゃないぞ。

待合室のスピーカーが発しているのだ。

「グリンドバッテンヘンホフさん、2番診察室にお入りください」

 

なんだ。

人の名前だったのか。

しかしおかしいぞ。

患者は誰も立ち上がろうとしない。

 

今度は診察室の扉が開き、看護師が出て来た。

「グリンドバッテンヘンホフさーん!

2番診察室にどうぞー!」

 

おや、看護師は僕の顔を直視して叫んでいる。

僕も看護師を見つめ返し、自分の顔を人さし指で指さした。

 

「はい。

あなたの番ですよ。

さあ、中に入って」

 

なんだ。

僕がグリンドバッテンヘンホフなのか。

僕は診察室に入り、精神科医の向かいの椅子に腰かけた。

 

そのやせぎすな精神科医は僕の顔を見ようともせず、パソコン画面とにらめっこしていた。

やがて医者は皮肉っぽい笑みを浮かべながら言った。

「グリンドバッテンヘンホフさん。

あなたは典型的なグリンドバッテンヘンホフですよ。

見事と言っていいくらいだ」

 

「はあ・・・・・・」

僕はなにがなんだかわからなかった。

 

医者は続けた。

「すぐに入院してもらいます」

 

えっ、僕にも僕の家族にもなんの相談もなく、いきなり入院だなんて、人権侵害じゃないのか。

 

そんな僕の気持ちを一切察する事なく、医者はなおも話し続けた。

「心配しなくていいんですよ。

あなたは今月、13人目のグリンドバッテンヘンホフなんです。

あなた以前の12人も全員快方に向かっています」

 

僕は混乱するばかりだったが、やっとの事で医者に質問した。

「なぜ入院しなければならないのですか?」

 

医者は相変わらずパソコン画面を眺めたまま言い放った。

「そりゃあなた。

あなたはグリンドバッテンヘンホフなんですからね。

まずは右脳にチューリップの球根を埋め込まなければなりません。

それから毎食後、キシッドパレリルファキナーゼも服用してもらいます」

 

気がつくといつの間にか僕の両脇に、屈強な看護師二人が立っていた。

看護師二人に抱え上げられ、僕は病棟の方へと連れられていった。

背後から医者の声が降り注いだ。

「大丈夫ですよー。

チューリップを埋めたら、グリンドバッテンヘンホフからサナキシシュワルコバイナールに生まれ変われますからねー」

 

そしてそれから三ヶ月後、僕は精神科の待合室に座っていた。

なぜだか頭からサナキシシュワルコバイナールという言葉が離れない。

サナキシシュワルコバイナールで頭の中がいっぱいだ。