ネコのように生きれば、
自然と愛される。
いくこです。
昨日、3/31は息子の20歳の誕生日でした。
20年前に息子がやってきてくれたのが
とても有り難いことだな、としみじみ。
出産して、産婦人科から帰宅する時
どこからともなく青いインコがやってきて
付き添いにきてくれた妹の頭にチョコンと
止まったのでありました。
幸せの青い鳥が祝福に来てくれたのだな、
とすごく嬉しくなったのが昨日のことのようです。
小さなころは、とても可愛らしくて
よく女の子に間違われてました。
明るくて活発な子供だったのだけど、
今は口数少なめの、本人曰く陰キャ寄り青年です。
あ、でもゲームしてる時は騒いでるな(笑)
わが子ながら、まあまあイケメンです。
中学の終わり~高校にかけて不登校気味に
なりました。高校2年生の時は、出席日数が
ギリギリ、よもや留年というところまで。
担任の先生がエクセルで出席カウント表を
作ってくれて、ハラハラの綱渡りでした。
今日は学校行けるかな、、あと3日休んだら
留年確定やで、、と胃が痛くなるような
気持ちで過ごしてたなぁ(わたしが)
中高一貫の進学校に通っていたのですが、
本人の意思というよりは、親のエゴで入学させた、
みたいなところもありました。
高校3年生の頃は、みんなが受験するのに
ついていけず、苦しそうでした。
クラスメイトが当たり前に受験していく中、
大学に行く意味を見出せなかったみたい。
あとは、高2からほぼ学校に行ってなかった
から、勉強もわからなかったんじゃないかな。
ある日、息子が
「中高一貫校に行かせてもらって高い学費も
払ってもらったのに、大学行かないって
言ったらお母さん怒る?お父さん怒るかな?」
と小さな声で言ってきました。
「叶えたい夢があるから専門学校に行きたい」と。
夫に話すと案の定、大反対でした。
そこから、大揉めに揉めながら、何度も本人と
話し合い、息子の意思を尊重することに。
わたしは、というと驚いたし不安にもなったけど、
息子の意思で何かをやりたい、と言ったことが
嬉しくて応援しよう、と思ってました。
高校3年生、12月の最後の三者面談で
「大学受験はしない」との最終決断をして
塾も辞める挨拶をしに行くことにしました。
息子には
「最後にお父さんに報告だけしなさいよ。
それくらいの筋は通しなさい」
と伝えると、2人で話し合いをしてました。
どれくらい時間が経ったのか、話し合いを
終えて息子が部屋に戻ってきて開口一番
こう言いました。
「俺、やっぱり受験する」
「大学行きながら、夢目指すことにした」
「言葉を学びたいから、文系にする」
それを聞いて、わたしはブチ切れました。
いや、、、!!ちょっと待って!!
あれだけ話し合ってきたのは何やってん!!
あれだけ悩んできたのは何やってん!!
試験日まで、1ヶ月くらいしかないやろが!!
しかも、あんた理系やろ!!
しかも、ほとんど高校行ってないやろ!!
文転して、今から受験!?バカなんか!?
もう、知らん!!勝手にしろ!!
塾もやっぱり辞めるの辞めます、と自分で言え!!
と怒鳴ってリビングを飛び出したのです。
結局、息子は1ヶ月ほどの受験勉強で
志望した大学の1つに合格しました(驚)
そう。息子は家族のなかで誰よりも地頭が
良かったのです。学校や塾でも、
「この子はやったら本当にできる子なのに、、」
と言われ続けてきていました。
そして、わたしは、、というと、
腹を立てながらも、めちゃくちゃ
神頼みをしていました。
京都には、いろんなお願いのきき方を
してくれる神さまが大勢いらっしゃって、
中でも「牛頭天王」はコイツおもろいな、
と思ってくれたらお願いをきいてくれます。
なので、毎日「いかに牛頭天王を笑かすか」
に命をかけていたのです。
その甲斐もあって(?)
何事もなかったかのように普通にぬるっと
大学生になった息子。
あんなに大騒ぎした「夢」からも
今は遠ざかっています。
とはいえ、普通に就職も向いてない、と
本人は言います(でしょうね)
そして、その「夢」から派生した
とあるスキルを活かしてお仕事を
始めているんだとか。
「これまでで、いちばん喜んでもらえた。
収益も結構でたから、ギャラ以外に
誕生日プレゼントくれるって」
と、誇らしそうに報告してくれた息子。
良かったね。
母は、あなたが夢を追いかけてたら嬉しいよ。
でも、別にそうじゃなくてもいいよ。
夢の内容とか、やりたいことなんか
いくらでも変わっていいから。
とにかく、楽しく心地よく、
そして何より健やかであってくれたら嬉しい。
お誕生日おめでとう。
あの日の青い鳥は、きっと祝福だった。
あなたが生まれてきてくれて、
いろいろあるけど、成長していく様を
側で見られることが、
わたしにとってはものすごい奇跡です。
生まれてきてくれて、ありがとう。

