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昨日の祝賀会から一夜明け、宅地建物取引主任者資格試験の合格ラインも見えて来た。今年は35点プラス・マイナス1点との情報らしい・・・・。
私の隣席に座る企画開発部のセミコンさん
(こないだフルコンと言って怒られた人です)
非営業系の身でありながら、見事に39点をクリアしたそうなので、どう転んでも合格間違いなしでしょう! おめでとうございます。セミコンさん!
(セミコンさんはこんな女性ですよ! 古いなんて言ってマズかったですかね・・・)
ご本人が昨日の祝賀会で言っていた・・・
「自分の代休や早上がりをカバーしてくれた仲間のために、何としても合格したかった!」
という合格秘話を聞いていて、ふと、にわかに、自分自身の受験当時の事を思い出した。
私の場合「母に捧げる」宅地建物取引主任者受験だった・・・。
時は平成元年8月の事・・・。
胆石摘出手術を受けたはずの母は、開腹して末期胆のうがんである事が判明、余命6ヶ月と宣告された。当時、父親は宅建業を営んでおり、事務所を開設するのに必要な宅地建物取引主任者資格は、母が、遡ること15年ほど前に子育ての合間に懸命に勉強して取得していた。
万一、母が死去するとなると、宅建主任者不在となり、父親の店は閉店に追い込まれる事になる・・・・。
何としても俺が合格しなければ・・・!
それに、生きているうちに合格を報告したいし・・・。
試験まで残り3ヶ月・・・・、
それが動機付けとなり、懸命に勉強して宅建試験にチャレンジした。何としてでも合格して、母に報告したかった!
でも、現実は厳しく・・・、
結果は僅か1点差に泣き、不合格だった・・・・。
メチャメチャ悔しかった・・・。
翌年の平成2年、2回目のチャレンジでパスしたが、残念ながら母への報告は間に合わなかった。
あの時、もし、生きていたら、合格を喜んでくれただろうか・・・?
そう言えば・・・
母の形見となった・・・、
本人が受験した時に使った昭和49年版の六法全書と、宅建主任者免許証が、今でも本棚の片隅にひっそりと眠っているはずだ・・・。
帰宅するなり本棚を探してみた・・・。
昭和49年と言えば私が13歳、中1の頃だ・・・・。
中を開けてみた・・・。
頑張って勉強していたんだな・・・・、
懸命さの足あとがしっかりと残っていた・・・
忘れていた記憶が蘇った一日だった。
ありがとう・・・セミコンさん!


