佐々木邦の『赤ちゃん』 | 霽月日乗・ホーマーEのブログ

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個人の備忘録です。


米国の哲学者でジョージ・サンタヤーナという人がいまして、大学に入って最初(だったと思いますが)の英語の授業でいきなり読まされました。

テキストはSoliloquies in England、『滞英独語録』という名で知られています。僕の知る限り翻訳はありません(いつか自分で訳そうと思ってますが、それはさておき)、彼の著作のなかでは簡単な部類に入るのですが、当時の僕には難しかったんですよ、これが(笑)

とにかく日本語で書かれた参考書もほとんどない状態でしたが、著者についてはかろうじて鶴見俊輔さんが『アメリカ哲学』(講談社学術文庫)でややまとまった紹介をされています。

で、今日はサンタヤーナの話ではなく、その参考書で一章を割かれていた佐々木邦について書きます。

鶴見先生は佐々木邦を日本のプラグマティズムの代表者として紹介されてますが、彼は小説家です。明治16(1883)年生まれ、昭和39年(1964)没。ためしにアマゾンで検索すると、この8月に講談社文芸文庫で『凡人伝』が出るようですが、現時点で入手できる新本は皆無です。彼の著作はことごとくユーモアを主眼に置いたものであり、その時その時の風俗に密接に関係した作品が多いことから、今日読むにはちょっと苦しいのはたしかに否めない。閑却されても仕方がないところですが、それでも処女作の『いたずら小僧日記』(翻訳です)などはなかなかハイパーな(笑)内容で痛快(これについてはいずれまた書きます)ですし、読まれずにいるのは惜しい作家です。

で、今日は比較的晩年の作品『赤ちゃん』(1958)をちょっとご紹介。こんな風に始まります。

皆さん、クイズでまいりましょうか?いいですか?
ボクは弱いこと、天下無比です。無力そのものです。ボクの腕をねじることは、諺にも最も容易の業の実例になっています。実際ボクは一日おっぽり出されておかれれば、死んでしまいます。しかし強いこと、ポーテンシャリチー(可能性)の大きいことも、ボクほどのものはありません。天下無敵です。そしてもしボクとボクの同類がなければ人類が絶えてしまいます。というのです。ボクは一体何でしょうか?
ボクは赤ちゃんです。

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といった具合に人を食った調子で、赤ちゃんを語り手としてある家族(教養ある上流の家庭と思われます)の日常生活が描かれます。

特に波乱万丈ということもない、どこの家族にもみられる平凡な、そして時々起こるさざなみのような出来事に終始するのですが、この味は他に求め難い。読後感がおそろしく良いんですね。登場人物はとにかく笑ってばかり、まさに幸せを絵に描いたような家族。それでも、ほんのわずかに人生の哀しさというのかな、人として抗えない運命というものが、紙背にというか底にというか、仄かに感じられる。

著者晩年のエッセイによれば、本人の人生は悲しいことばかりだった、5人いた子供のうち4人を早くに亡くした、でもそれは運命だから、自分は不幸だと考えないようにしている、と言うんですね(『人生エンマ帳』まえがき)。

なるほどなあ。『赤ちゃん』の明るさは子供を何度も亡くした彼にして初めて可能なわざだったわけです。

僕もちょうど我が家に赤ちゃんがいる時分にこの作品を読んで感じるところがありました。自分は果たして我が家の赤ちゃんにとって、この本に出てくる大人たちのように真っ当な人間であるのだろうか、と。これについては甚だ自信がありません。今はもう大人になった当時の「赤ちゃん」に聞いてみるわけにもいきませんしね(笑)。

自分の人生を振り返ってみて、今まで僕は本格的な不幸に見舞われたことがない。そういう意味ではまことに幸福な人生を過ごしてきました。味わい深い、奥行きのある文章がなかなか書けないのもその能天気さの故かも知れませんが、不幸を経験しないとそういう文章が書けないのなら、僕は一生そんな文章、書けなくてもいい。

とまあ、そんなことが考えさせられる作品ですね。ご興味ある向きは古本か図書館でぜひお探し下さい。
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