春日大社権宮司、岡本彰夫(あきお)氏の心に響く言葉より…
日本の文化は、「みぎわ」の文化です。
みぎわとは水際、つまり陸地でもなし、 水面でもなしという、
時刻でいうならば、日暮れどきの「黄昏(たそがれ/誰そ彼=
暮れるでもなし、暮れないでもなしという時間を好むのです。
また、食べ物でも、
つまり、極端なものを嫌い、微妙な潮目を喜ぶのです。
日本人は、極端なものを 「いみじきもの」と表現しました。
『古事記』には、イザナギノミコト様が「筑紫(つくし)の日向(
つまり極端なことを避け、中程をよしとされたというわけです。
両方の均衡をとり、「ちょうど」の加減を大事にする。
それが日本文化の特質の一つです。
どちらか一方に片寄らず、中庸(ちゅうよう)
たとえば、日本の文化は、「雅(みやび)」と「鄙(ひなび)」
「雅」は「宮び」が語源で、宮廷風の洗練された様子を表し、
たとえば茶道では、足利将軍時代は、きらびやかな唐物(
そして、茅葺(かやぶき)で粗い土壁の田舎風の茶室と真っ黒な楽
しかし、同時に唐物も大切にされており、まさに「雅」と「鄙」
宮中の女官さんの髪型「おすべらかし」も同じです。
これは近世、女官が町娘の髪型である島田髷にあこがれて、
こんなふうに雅の世界では鄙にあこがれ、
三谷幸喜氏が監督をつとめた「ザ・マジックアワー」
マジックアワーとは、日没後、太陽が沈み切っていながら、
映画では、誰にでもある人生でもっとも輝く瞬間を意味する。
まさに、黄昏(たそがれ)の時間だ。
日暮れどきの「たそがれ」も、夜明け前の「かわたれ」も、
つまり現代では、「鄙(ひなび)」でしか味わうことができない。
「大人になるということは、曖昧(あいまい)さを受け入れる能力を持つということである」(フロイト・精神分析学者)
白か黒かで、決着をつけなければ気が済まない人は子ども。
相手を屈服させるまで議論して勝ったとしても、遺恨(いこん)が残るだけ。
極端ではなく、中庸を愛(め)でる感性…
曖昧さを受け入れることができる大人でありたい。
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