藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…

 

 

松原泰道先生という禅宗のお坊さんがいます。

 

今年(平成三十年)百二歳になられる立派な高僧です。

 

その松原先生が私に教えてくれました。

 

「藤尾さん、仏教の教えというのはね、三つに集約されるよ」

 

仏教の教えはたった三つに集約されるというんです。

 

 

 

一つ目は「厳粛(げんしゅく)」。

 

厳粛とは、今というひとときは二度と帰ってこないということ。

 

これは厳粛な事実でしょう。

 

時間は刻々と流れていって、今というこのひとときは二度と帰ってこない。

 

それが世の中ですね。

 

この事実は厳粛そのものでしょう。

 

万物は一切が流転しています。

 

止まることがありません。

 

みなさんの細胞も、一分間ごとにものすごい勢いで代わっているんです。

 

あらゆるものは、絶対に今というこのひとときを二度と繰り返さない。

 

この世相はまさに厳粛そのものだということを仏教は教えているというわけです。

 

 

 

二つ目は「敬虔(けいけん)」。

 

敬虔とは「おかげさま」のことだと松原先生はいわれています。

 

人間は誰一人として自分だけの力で生きている人はいません。

 

それを思うと、「おかげさま」という敬虔な気持ちにならざるを得ないのだと。

 

 

 

三つ目は「邂逅(かいこう)」。

 

邂逅というのは、めぐり合うこと。

 

人生はめぐり合いの連続です。

 

めぐり合いによって、その人の人生があるんです。

 

まず一番最初のめぐり合いは何か。

 

人間、生命を得て一番最初にめぐり合うのは母親のお腹の中の羊水です。

 

そして生まれてきてからも、いろんな人に出会って、人間は自分の人生や人格を形成していきます。

 

 

 

お釈迦さんはいろいろなことを教えてくれていますが、その教えを集約すると「厳粛」「敬虔」「邂逅」の三つに尽きると松原先生はいわれたんです。

 

 

面白いことに、松原泰道先生は、この三つの教えは、

 

「ありがとう」

 

「すみません」

 

「はい」

 

という三つの日本語に還元されるといったんです。

 

それを聞いて私は「う~ん」と唸(うな)りました。

 

 

まず厳粛というのは「ありがとう」という言葉に還元される。

 

なぜかというと、時間は一刻たりとも止まらないで過ぎていくでしょう。

 

死んだ人はもう二度と帰ってこないでしょう。

 

そんな厳粛な世相の中で、自分は今、生きている。

 

それは言葉に表すなら、「ありがとう」しかないというんです。

 

 

 

次の敬虔(けいけん)といのは「すみません」という平凡な言葉に還元される。

 

何がすまないのかといえば、いろいろなおかげで自分は生きているけれど、その「ご恩返しが済みません」という意味だと。

 

いろいろなおかげに恵まれて生きているのに、ご恩返しが済んでいない。

 

だから「すみません」という言葉になるというんです。

 

 

 

そして三つ目の邂逅というのは「はい」という言葉に還元される。

 

要するに、めぐり合いは「はい」という形で受けとめていかないと、めぐり合いにはならないですね。

 

あるいは、めぐり合いとは、我われが自分で考えてめぐり合えているわけではないでしょう。

 

天地が与えてくれるものでしょう。

 

「はい」というのは「拝」という意味でもあるんです。

 

その天地が与えてくれためぐり合いは、「はい」といって拝(おが)んで受け止めるしかないと。

 

 

めぐり合いのありがたさは拝むしかない。

 

 

拝んだときに、めぐり合いは自分のものになってくる。

 

めぐり合いとして完成することになるんです。

 

 

そして、この「ありがとう」「すみません」「はい」という言葉を絶えず繰り返していると、どんな嫌なことがあっても、人生というのはちゃんと発展していくようになっている。

 

それが仏教の教えであり極意だと松原先生はいわれました。

 

 

小さな経営論』致知出版社

小さな経営論

 

 

 

 

 

 

この「ありがとう」「すみません」「はい」という言葉はどれも大事だが、なかでも「めぐり合い」の不思議さに対して、「はい」という言葉を発することの大切さは、まさに「縁尋機妙(えんじんきみょう)」ともいえる。

 

「縁尋機妙」とは安岡正篤師の言葉だが、「良い縁は次から次へと良い縁を結んでくれる。縁とは誠に不思議なのも、計(はか)らざるものだ」という意味だ。

 

 

良い縁は、「拝(はい)」といって謹(つつ)しんで受け止める必要がある。

 

つまり、拝むようにして受けるということだ。

 

これは、「頼まれごと」を引き受けるときに必要な心的態度だとも言える。

 

 

たとえ、表面的にはちょっと大変そうな頼まれごとであったとしても、それをこころよく「はい」と言って引き受ける。

 

それは例えば、PTAの役員だったり、なにかの会の会長や役員だったり、講演やスピーチの依頼だったり、原稿依頼だったり…。

 

頼まれごとは、その人に応じた頼まれごとがやってくる。

 

 

また、頼まれるということは、「誰かの役に立てるかどうか」を試される、ということでもある。

 

逆に、頼まれない人は、頼まれたときに、気持ちよく笑顔で「はい」と言ってこなかった人だ。

 

何かを(小さなことであれ)頼まれるたびに、嫌そうな顔をしたり、不機嫌になったり、「できません」「いやです」「無理です」と否定ばかりしていたら、誰も頼む人はいなくなる。

 

 

「ありがとう」「すみません」「はい」、という言葉を繰り返し発したい。

 

 

 

 

小さな経営論

 

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