感覚を磨いて行く… | 『慢性症状』専門治療室&カウンセリングルーム ちば幕張イソカワ総合治療院

『慢性症状』専門治療室&カウンセリングルーム ちば幕張イソカワ総合治療院

『慢性症状、スポーツ疲労、自律神経症状、氣力回復』専門治療室
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とても熱血漢で頼りになる先生の施術です。

無痛で副作用なしの自然「手技」療法です。

昨日は、氣康塾の日でした。

自分磨き氣康塾の詳しくはこちら、

 

『感覚磨き:氣康塾』

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福島よりお越しの佐藤さんの感想記事です。

イメージから全ては始まる。

自分と相手と環境

ニュートラルを知ること

感動とは…

できると思っていなかったもの、

 

できるのかなと不安に思う事、

 

体のあらゆるきっかけ、エネルギーの働きは、「肉体のみの力」で起こるのでなく、「思考」から始まる。

思考から作られるイメージにより、感情によってそのイメージが具体化される。

 

具体的に言語化するほど、人は行動に移す事ができる。

 

思考とは、全ての始まりであり、そこから全てが生まれる。

 

感情とは言語であり、実体化されるまでのプランニングである。

 

具体的に、どうしたいか、どうなりたいか、どうありたいかを明確にする事である。

 

それは、プライベートでも、仕事でも、趣味でも、遊びでも、あらゆる面で全てに当てはまる。

 

具体化する為には、より多くの経験が必要になる。

 

人は知らない事はイメージができない。

 

見たこと無いもの、聴いたことないもの、味わったことの無いものなど、

 

体験の無いものには思考が働かない。

 

しかし、体験してきた思考を拡張させる事はできる。

 

こうあったらいいな、こうであるかもしれない、こうあってほしい、

 

あらゆる面でアイデアとは、今まで体験した事から派生した「姿」である。

人は一生のうちに、多くの体験をする事である。

 

良いことも、そうでない事も、陰陽は二つで一つの体験である。

 

全ては意味があり、統一性のある物、

 

あらゆる体験は、すべてが思考のソースで在り、引き出しの素材となる。

 

人はアイデアを出す事、イメージを行う事に専念しなければならない。

 

アイデアがやがて、きっかけを作る。

 

イメージがやがて人生を作る。

 

目に見えない感覚から生まれたものが、この視覚化された目に見える実態です。

 

目に見える物が全てではない、

 

感覚はあらゆる面で、自分そのものとアクセスできるものとなる。

 

自分を知ると、相手を知ることになる。

 

相手を知るという事は、周囲の世界を知る事に繋がる。

 

また、周囲に目を向け、環境の中の自分に気づくことで、自分の存在をあらゆる視点で見えるようになる。

 

 

人は上下、前後、左右の世界に存在する、

 

そこに、自分を知ると「時」を理解できる。

 

時を理解できると、今この瞬間を楽しみ、今この瞬間を愛しく思うのである。

 

正面だけの世界が全てだと思ってはいけない。

 

自分も、相手も、環境も、

 

前後も、あれば、上下も、左右もある。

 

人を正面だけで判断してはいけない、

 

物の価値を一方方向のみで判断してはいけない、

 

人も、物も、場も、あらゆる方向から見てみるといい、

 

きっと、そこには気づかない魅力と可能性が待っている。

 

こうだと決めつけるのは、いささか早いのではないだろうか、

 

もしかした、こうかもしれない。

 

可能性は無限にある。

 

あらゆるイノベーションも、全ては視点を変える事から気付きを得ている。

 

目に見える物は、角度を、方向を変えて見るとよい。

 

目に見えない物は、見方というより感じ方を変える事からである。

いまそこにいる部屋の中でも、外でも、かならず質量が存在し、

 

あらゆる物には、微量のエネルギーが存在する。

 

風を感じ、光を感じ、熱を感じ、微量の空気中の水分さえ感じていく事である。

 

自然にある物を感じていく事でこそ、人も自然体になる。

 

自然体になる事が、どれだけ大事か。

 

あらゆる事にチャレンジして、

 

あらゆることに意識していく事には、

 

アクセルとブレーキだけで進む一日より、

 

ニュートラルになる時間があればよい。

 

その一日の時間の中に、自分の体に合った時間だけニュートラルになる為の時間が必要である。

 

ただ、目をつぶり、自分の呼吸と向き合うその時間が、人が一種の生命体として向き合える瞬間のである。

 

それにより、多くの物を見渡せる余裕ができてくる。

 

見えなかった、気づかなかった、景色に気づくようになり、

 

いままで見えなかったものに触れて行けるのである。

 

その時に、人は無心で、ただ純粋に感動できるのである。