吉田松陰 『 留魂録』 | ひふみ塾 世回りブログ

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〈ねずブロより転載〉

吉田松陰の留魂録




吉田松陰の辞世の句として有名な、

身はたとひ武蔵の野辺に

朽ちぬとも

留め置かまし大和魂

は、処刑を前にした吉田松陰が弟子たちに与えた書である「留魂録」の冒頭に掲載された句です。

吉田松陰は、山鹿流です。

山鹿流は、山鹿素行を元とし、播州浅野家、赤穂浪士の精神面の支柱となり、吉田松陰の思想となり、そして明治維新後は、維新政府の思想となり、乃木大将を通じて昭和天皇にも引き継がれた思想です。

その吉田松陰は、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結んだことを非難し、幕府の老中、間部詮勝(まなべあきかつ)の誅殺を企てたとして、安政6(1859)年、江戸小伝馬町で斬首となりました。

このときの松蔭の年齢は、数え年30歳(いまの29歳)です。

その29歳の若者が書き残した「留魂録」は、松陰の意思を継ぐ維新の志士たちのいわばバイブルとなり、明治維新への大きな原動力となりました。

是非、ご一読賜われればと存じます。

なお、先にねず流で現代語訳を行い、下に原文を示します。

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『留魂録』 吉田松陰

  身はたとひ

  武蔵の野辺に朽ちぬとも

  留め置かまし大和魂

今日、私が死を目前にして平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環を考えたからです。
農事にたとえれば、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。

秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくり、村々には歓声が満ちあふれます。

そんな収穫期を迎え、その年の労働が終わったのを悲しむ者など、私は聞いたことがありません。

私はいま、30歳で生涯を終えようとしています。
いまだひとつも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ていて、惜しむべきことなのかもしれません。

しかし私自身について考えると、やはり花が咲き、稔りを迎えた、そんなときなのだろうとしか思えません。

なぜかというと、人の寿命には定まりがないからです。

農事が四季をめぐって、くりかえし営まれるようなものです。

人間にも春夏秋冬があります。

十歳で死ぬものには、その十歳の人生のなかに、おのずから四季があります。

二十歳には、おのずずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずから四季があります。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことにしかなりません。

百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはなりません。

私は三十歳ですが、四季はすでに備わっています。花を咲かせ、実をつけています。

それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私にはわかりません。

しかしもし、みなさんの中に私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるでしょう。

みなさんも、どうかこのことをよく考えてみてください。


吉田松陰は、首をはねられ、亡くなりました。

しかし、松陰が抱いた憂国の志は、明治の志士に引き継がれ、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、アジア諸国の植民地からの独立を実現させ、いま、アジアの国々のおおいなる発展を実現させました。

さいしょは、たったひとりから。

そしていまは、眼ざめた個々の人々が、まだまだバラバラな状態なのかもしれません。

正しいことは、どんなに弾圧を加えようが、かならず火は燃え広がるのです。

たいせつなことは、日本は対立と闘争の国ではないということです。

どこまでも、陛下を中心とした「和と結いと対等の国」です。

もうひとつ興味深いのは、この遺書で松蔭が、その門下生たちに「みなさんも、どうかこのことをよく考えてみてください」と呼びかけていることです。

吉田松陰は、山鹿流軍学指南所の塾長です。

その山鹿流は、ご皇室を尊崇し、我が国における天皇の存在のありがたさを、あらためて世に知らしめようとした国学です。

そしてその国学の塾長が、門下生に対して、「弟子たちよ」という上から目線ではなくて、「みなさん」という、対等な人としての呼びかけをしています。

ここにも、日本のシラス国である姿勢が明確に現れています。

日本は、一部の権力者が、大衆を支配するウシハク国ではありません。

ですから、たとえ年長の師匠であったとしても、その門下生たちへの思いは、あくまで「同志」です。

つまり、いま、日本を守ろうと立ち上がった人たちは、ひとりひとりが、人として対等な同志であるということです。

それがシラス国、日本です。


幸食研究所 ひふみ塾
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