53歳で逝ってしまった夫へ -3ページ目

53歳で逝ってしまった夫へ

人生の相棒でパートナーだった夫が53歳で逝ってしまいました。
子供のいない私達でしたが、山の中で出逢った猫が18年10ヵ月半、私達に家族として寄り添ってくれました。
夫の事も、愛猫の事も、忘れたくなくて、手探りですが、書いておきたいと思った事を綴ろうと思います。

お盆なので

振り返ってみようかと

 

6年7ヶ月が経って

辛い記憶や想いが消える事はありませんが

思い出す事はできるようになったようです

 

 

 

いっしょに夕食を食べて

数時間後だった

 

「頭が痛い」

「気持ち悪い」

言い始めた時は “会話” していた

吐瀉物を片づけている時に

「ごめんね、ありがとう」と

でもそのうちに…

不可解な事を言い出して

呂律が回らなくなって

いびきをかいて

 

救急車を呼んだのは

「頭が痛い」と言ってから

1時間くらい経っていたかもしれない

 

駆けつけた救急隊員の方が

運び出そうとしてくださったけれど

身長も体重もある貴方を

担架で1階まで降ろすには

もっと人手が必要だと言われ

応援の方が到着するまで

時間がかかってしまった

 

救急搬送して

CTを撮って

急性脳出血ですと告げられた

緊急で開頭手術

 

術後のICUで

意識は戻ったけれど

言葉での意思の疎通はできなくて

1週間後

術後合併症で敗血症ショック

 

恐怖で立っている事もままならないまま

心臓マッサージされる貴方のそばに

ただただ居る事しかできなかった

 

何が起こっているのか

受け入れるどころか

理解もできていなかった

 

まるで

手から砂が零れ落ちるように

事態は容赦なく進んでいった

 

家の事

仕事の事

猫達の事

諸々の手続き

 

やらなくてはならない事

考えなくてはならない事

決めなくてはならない事

あまりにもあって…

 

何も考えられないのに

オーバーロードしそうだった

 

 

 

“死” を望んだかと考えると

正直よく分からない

もうどうなっても良い

そうは思った

 

独りにしないでよ

いっしょにいきたい

そうは思った

“生きたい” なのか 

“行きたい” なのか 

“逝きたい” なのか 

分からないけれど

 

車を運転している時

ブレーキを踏まなければ

山道でハンドルを切らなければ

思わなかった訳じゃない

でもそんな勇気も無かった

 

以前なら

“自死” には否定的だった

でも…

それしか選べなくなってしまったんだろうな

とは思うようになった

いまでも基本的には否定のスタンス

それは

遺された側の

哀しみや辛さも

知ってしまったから

 

 

 

そんな中で

仕事を続ける事を選んだ

どこまで続けられるのかわからなかった

だから自宅を引っ越した

猫2匹飼育可のアパートへ

もしもの時…

ハチ猫とクロ黒猫の居場所を確保したかった

 

ハチ猫とクロ黒猫

私がそばに居て良いのかも考えた

どこかの “家庭” へ?

ハチ猫とクロ黒猫の幸せを…と思ったけれど

私が離れられなかった

 

引っ越したのは

自分自身の為でもあった

tenと貴方と暮らしたアパートで

独りでいるのは辛かった

夜な夜な賃貸情報ばかり見ていたっけ…

 

独りで

戸隠神社の五社詣りをするようになった

しかも年に数回のペースで

身体的には結構キツイ

体力が落ちている時でも

自分を痛めつけるように歩いていた

いま思えば…

そうやって “生” を実感していたような気がする

 

 
 
 

 

 

少しずつ

自分を癒してくれるものを探した

ニャンズ猫黒猫との時間はもちろん

音楽・香り・神社仏閣・自然・友人との時間

スピリチュアルや様々なワークショップ

手当たり次第だったとも思う

 

2020年1月に死別して

その後すぐに

新型コロナ禍になって

急速にオンライン化が進んだ

不謹慎と言われようとも

私には恩恵があったのは事実

 

いろんな事

ヒーリングや講座・セッション・お話会などに

長野という地方に住んでいても

自宅から参加できた

 

“密” を避ける対策も

外へ出るハードルを下げてくれた

映画館では座席は一つ置きの着席

食事も個食

 

外へ出始めた頃

動悸がおさまらなくなったりしないか

急に感情が崩壊したりしないか

不安もあった

 

少しずつ

本当に少しずつ

映画館に行ってみたり

電車に乗ってみたり

 

舞台やLIVEに行きたいと

思って行動できるようになった自分に

驚きながらも

 

いま思えば

現実を受け入れられない

何も考えられないと

そんな状態だったけれど

無意識に “生きる” 事を

選んでいたようにも思うのです

 

相変わらず

戸隠神社へ通うように参詣はしていますが

五社詣りにこだわらず

天候や予定と相談する余白もできてきたようです

 

 

自分の “want” と向き合いながら

ときめく方へ

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は終戦記念日でもありますね

大好きな祖父は海軍所属の軍人でした

当時マレーシアのジョホールバルに居たそうです

いつ来るか分からない迎えの船を待っていたとだけ

話してくれました

 

戦争の事…話すつもりはなかったのかもしれません

職業軍人だった方々は

非難されたり

仕事に就く事もままならなかったり

苦労されたと聞いていますから

 

姉と私がシンガポールへ旅行して

お土産を持って行った時

オプショナルツアーでマレーシアにも行って

ジョホールバルにも行ったんだよ~と話したら

ぽつりと話してくれました

 

大好きなおじいちゃん

1906年の丙午生まれでしたね

私が伴侶に選んだ人は

1966年の丙午生まれだったよ

 

今年は2026年の丙午です

丙も午も陽の火

強い火にあぶり出されるように

明らかになるとも言われています

 

振り返りたくなったのは

気持ちを整理してみたくなったのかもしれません