悠仁親王の加冠の儀まで2週間とちょっと。
楽しみですよね。
あの日は、NHKがスクープで流し、珍しく紀子様ブームが来たのかと思いました。
まさにこの日、皇室典範改正が成立するかもしれないというタイミングでした。
先に書いておきますが、結婚した男女に「子供」を期待されることは自然な事で全くハラスメントではないという事です。
なぜ新生児を見ると知らないうちに顔がほころんでしまうのか・・・人間に与えられた本能です。
そういう空気を一変させたのは皇太子夫妻で、「結婚してから3年は子供なしで」「子供を産むか仕事をするか」と悩んでいるとか、散々被害者ぶって不妊治療に取り組まなかった皇太子妃は、ベルギーに妊娠を隠して行った挙句、稽留流産をしてしまいます。
週刊誌やマスコミが「お世継ぎはまだか」と騒いでいて、国民は全く思っていませんでした。それ程東宮夫妻は国民に愛されてなかったんです。
「稽留流産」をマスコミと国民のせいにした東宮妃は、この頃から「お可哀想な雅子様」と言われ、2001年に内親王を出産しても株価は上がらず、小和田家は男子と信じていたのに女子だった為にお通夜のような会見をしておりました。
この頃から小泉総理は「愛子様が天皇で何でいけないの?」と皇室の事を何もしらないのに言い出し、「長子相続」を決めようと動き出します。
一方皇室では「東宮家に第2子を、秋篠宮家に第3子を」と発言した林田東宮大夫に怒った東宮家は彼を失職に追い込み、マスコミには「男女差別だ。雅子様いじめだ」と騒ぎ立てます。
婚約記者会見において、お子様は何人?と質問されたとき、
秋篠宮「何人にしましょうか」
紀子様「それも殿下とご相談して」
皇太子「コウノトリのご機嫌にまかせて」
雅子さん「オーケストラを作るなどとはおっしゃらないでください」
どれ程「子育て」が遠い存在だったかわかるエピですね。
秋篠宮家は筆頭宮家ですので、どうしても後継ぎの男子は必要でした。だから、できれば何人でも産みたかったのが本音です。
1991年に眞子様が1994年に佳子様が生まれ、その後、皇后によって「産児制限」をかけられました。
理由は佳子様懐妊時、雅子妃が泣きはらした目で出て来たから。
「(先に紀子妃が懐妊したら)また佳子ちゃんの時のようになる」と言われたようです。
こんな姑いらんわと言いたいですけど。
しかし宮内庁内では「早く男子が誕生しないととんでもない事になる」と焦っていましたし、天皇陛下もそれで体調を崩す程でした。
それはそうです。ご自身が長い間待ち焦がれて生まれた一人。
その子孫を孫の代で絶やすわけにはいかなかったのです。
皇后には何度も「紀子様に出産をお許しになるように。年齢がありますよ」といい、根負けした結果、産児制限解除となります。
2001年に愛子内親王が誕生してから、いわゆる「サマーズ」達が必死に「長子」ゆえに天皇にするべきだ運動が始まります。
どんなに「男系男子」の意味を解いてもわからない馬鹿達で、自分たちの意見しかいいません。
そんな中に小泉総理もいたという事ですね。
そして2005年の天皇誕生日に「事件」が起こります。
夕方、天皇に祝賀を述べに行った真子様と佳子様が着ていたのは御地赤と呼ばれる着物で正式の場に来ていくべきものでした。
しかし、東宮家では4歳の愛子内親王に御地赤を作っていなくて、洋装にコート姿でした。
いとこの御地赤にひかれた内親王は騒ぎ出し、暴れたそうでそれを見た両陛下はおびえたらしいです。
ひとまず雅子妃が「東宮御所に連れて帰る」といい、愛子内親王と共に帰ったものの、夕食の席に戻ってこない。電話をしても応答なし。
何でも雅子妃は愛子内親王と夕食をすませお風呂に入っていたんだとか。
天皇夫妻と東宮、黒田清子夫妻、秋篠宮夫妻は、先に食べる事をせず実に1時間40分もの間、待ち続けたのです。
皇后が「帰って来た時に気まずい思いをすると可哀想だから廊下で待つ」というので、紀子妃と清子さんが代わりに廊下に立ちました。
戻って来た雅子妃は「どうも」と言ったきりでした。
あまりの事に紀子様は泣き出してしまわれたと。
この時、恐らく天の配剤があったのでしょう。
偶然にもよく2006年歌会始の儀では秋篠宮両殿下が共にこうのとりを読み、縁起がいいなと誰もが思った2月。
懐妊が発覚したのです。
しかし、このような伝えられ方をするのは秋篠宮夫妻としては不本意でした。
一体誰がこのニュースを国会でまさに今、皇室典範改正をしようとしている総理にメモを渡したのか?
「紀子様?雅子様じゃなくて?」総理の声は今もしっかり覚えています。
この時の社民党の福島瑞穂は本当に呆れるようなコメントをしましたが、久しぶりに明るい皇室のニュースに沸き立ち、ワイドショーの画面も明るくなったのを覚えています。

私は、あの当時美智子皇后は「まさか本当に懐妊するとは思わなかった」と感じていたのではないかと思います。
皇后にとって一番大事な皇子は皇太子です。
皇太子こそが彼女の心のよりどころだから、彼が喜ぶような状態にしたい。嫁からつつかれるような事はしたくないと思って居たに違いありません。
どんな難しい課題もクリアしていく紀子妃には恐れを抱いていたと思います。
これで男子だったら・・・・
天皇は心から喜んでいる。だから皇后としても同調しなくてはならない。
以後、週刊誌等による「紀子妃バッシング」が激しくなり、真子様は心を病んでしまうのですが。
悠仁殿下が生まれた背景を思うと、危ない橋を渡るような気持ちで9月まで私達国民も過ごしたのです。

