こんにちは
とける整体 の陽子です。
とける整体の陽子です。
まだ梅雨ですよね??
湿気がお身体にもたまってくる季節。
整体でお背中やお腹まわり、股関節をケアしたあとに
リフレで一気に流す!!
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整体とリフレを組み合わせると最強です。
さて。突然ですが
「自分年表」を書いてみます。
しばし、お付き合いを。
昭和48年4月4日
北関東某所の総合病院(通称古河)にてうまれる。
帝王切開で、出生時間は深夜。
そのことについては自分が出産育児を経験するまで何の思いもなかったが
深夜に帝王切開というのは、おそらく何かがあって緊急で手術になったのではないかと思う。
ちなみに母からその話は全くなし。
そういえば、父が
「医者がなかなかこなくて」
みたいに言ってたような気がする。
生まれた家庭は
とある観光地の、お店をやっているところ。
私の祖母を筆頭に
当時は普通だったかもしれないが今考えるとテレビに出るほどじゃないが大家族。
女系家族なのだろう、男は父ひとり。
親の年齢的に、私は最後の子で
跡継ぎを切望されていたのだろう。
女だったので、生まれた直後
「なんだ女か」
と父が言い放ち、母方の祖母は唖然としたそうだ。
(あまりこの話は私の耳には入れてほしくなかった。
私は父をがっかりさせた存在なのだとずっと思っていから)
かといって
露骨に「男がよかった」と言われることもなく
かといって
末っ子でアマアマで育ったわけでもなく
みんな大人の中にぽつんとチビの私。
子供好きで抱っこしたり無邪気に思い切り遊ぶような家族はいなく
もの心つく前から、一人でお絵描きしたり
家の中でもくもくと静かに遊ぶ子だった。
誰かに面と向かって遊んでもらったことがない。
(…といったら拗ねてるみたいだが、冷静に書いてるってことで。自営業だったこともあると思う。いつも一人でいた記憶)
だから、第一子が男の子で
一瞬たりとも一人で遊ばなくて気が狂いそうになった。
(そりゃあ、ずっと一人で遊んでもらおうなんて思ってないよ。
一緒に積み木したり公園行ったり全力でボール遊びしたりもしたさ。)
あとは、
やはり性格なのかもしれないが
あまり笑わなかったそうだ。いつもローテンション。
「この子は、『話すと損する』って思ってる」
「いつもブスくれた顔してる」
「ブスだ」
と家族にいつも言われた。
いや、あの、家がつまんなかったからだけど。。。
小学校くらいまではそんな感じで
基本一人あそび。
自分のことは自分でやる(着替えとか)
おねしょやおもらしは皆無。
集団生活的なきまりは厳守。
待っていろと言われればずっと待つ。
学校の用意は全て自分でやり、忘れ物ナシ。
テストは配られた瞬間に解く。
ということを何の努力もなしにやっていた。
習い事はお習字とそろばん。
これも順調に級を上げる。
だが体育はできない。
だから今でも運動はきらい。体育の授業や運動会のトラウマがある。
楽しかったことは…
そうはいってもそれなりに、学校行事は楽しんではいた。
遠足などの班行動ではしゃいだり
面白い写真を撮ったりしたこともある。
体育以外の授業で「できる」ことが楽しかったし
体育の授業でも、キックベース?の試合的なものが面白かった記憶あり。
あとは、なんといっても年に数回来てくれる少し歳上のいとこの存在。
Yちゃんや、Aちゃん Oちゃん。
彼女たちが来ると、朝から晩まで飽きずに遊び
お風呂にも一緒に入り
お布団を隣同士にして寝て
次の朝は目覚めるとそのいとこが隣にいて
一緒にご飯食べて…
と夢のような日々だった。
帰ってしまった後の私は、
家族によるとこの世の終わりのような顔をしていたそうだ。
自営業の家だったから
出かけたこと、旅行行ったことはほとんどない。
私は一人で妄想してばっかりいて
「日曜日、〇〇(自分ちの店の名前)は定休日です」
って電話帳に書いてもらおうかなとか
「ニュースです!〇日と〇日、〇〇はおやすみです」
って新聞に書いてもらおうかなとか
そうなったらいいなと考えていた。
妄想で言えば
うちの店はお客さんの送迎をしてたこともあるのだが
その車内で、季節ごとにあんな放送?やこんな放送をしたら面白いだろうな〜
だとか
お客さんにあれをやってあげたらいいのにとか
そんなことも考えてワクワクしていた。
そんな、さびしくもかわいい少女時代。
ここまで読んでいただきありがとうございます😊




