最強のサポーター

 

会ったことのない24歳の女性からInstagramにDMが届いた。

彼女は乳がん患者。

長いメッセージだった。

 

結婚したい男性がいる。

子どもを産みたい。

再発するかどうかは誰にも分からない。

でも、未来が怖い。

彼の幸せのために、違う選択も考えている。

 

そんな内容だった。

 

こんな質問もあった。

 

はなちゃんは遺伝を怖がっていませんか。

生まれてきてよかったと思っていますか。

母親を恨んだりしていませんか。

 

娘が中1の夏、僕に言ったことを思い出した。

「ママはわたしを産んでなければ、生きとったかもしれんよね」

 

あのとき、僕は、妻が遺したブログの一節を娘に読ませた。

彼女にも読んでもらいたい。

 

 

母のナミダ(2008年5月13日)

 

直腸がんの患者さんに出会いました。

 

まだ30歳になって間もないかわいらしい方でした。

 

1年半前に告知を受け、赤ちゃんを授かっていたのに、検査や治療が受けられないから、苦渋の決断で赤ちゃんをあきらめてしまったと、涙ながらに話されていました。

 

たまたま隣り合わせに座って話を聞いていたわたし。

 

とても人ごととは思えなくて。

 

かなり迷いましたが、気がついたら彼女に声をかけていました。

 

「つらかったですね」と。

それ以外には何も言えないし、何もできなかったですけれど。

 

がんの告知は、人の人生を大きく狂わせる。

周りも巻き込みながら。

 

夢も希望も吹き飛ばし、遠慮なしに、ずかずかと入ってくる。

 

せっかく授かった命を、自分の命と引き換えに葬らなければならなかった彼女。

 

どんな想いだったことだろう。

 

堕ろすことで、母体には傷が残る。

もしかしたらもう二度と赤ちゃんを授かることはないかもしれない。

 

その想いは、いかばかりだったろうか。

 

思わず、「私もがんです。がんになった後に赤ちゃんを授かり、産みました。ムスメは今、5歳になりました」と伝えたら、気が少し楽になられたのか、少し驚かれたのか、涙をぽろぽろこぼされていました。

 

その涙を見て、私も涙をぽろぽろこぼしました。

 

 

 

私も、がんになった後に命を授かったので、実は手放しで喜んだわけではなかった。

 

「産む」という決断を下すには、タイムリミットがある。

再発や転移が怖くて、ぎりぎりまで、「堕ろす」ことが頭の中をぐるぐるしていた。

迷いに迷った。

 

 

誰よりもこどもを待ち望んでいた旦那や、孫を抱くことを心待ちにしていた両親は、私がマイナスの決断を下そうとしていたから、悲しみに暮れていた。

 

そのときの私は、自分の命が一番大事だったんだ。

 

 

結局、「産む」と決めた最大の理由は、旦那と周囲の支えと、主治医の「あなたと同じような病の人は、出産したくてもできない人がたくさんいるんだよ。妊娠するのだって、奇跡的。再発するかどうかなんて、誰にもわからない。するかもしれないし、しないかもしれない。妊娠は神秘だから、産んだらどうね?」の一言と、福岡で一番支えてくださったお医者さん(私の福岡のお父さん)の「産んだらどうね?大丈夫よ。孫の顔見せてー。あんたの子は可愛かろうねぇ」コールと、

 

とどめは、実父の「死ぬ気で産め」の一言だった。

 

 

 

産後から1年半。

私のがんは結局、再発したけれど。

 

そのときは、つらかったけれど、今は本当に、

あのとき支えてくれた人に感謝している。

 

 

後悔は全くしていません。

 

 

ムスメは、今や、最大で最強の私のサポーター。

 

あそこで諦めていたら、ムスメには出会えなかったのだ。

 

ムスメがいなかったら、正直、ここまでも、これからも、

頑張っていけたかどうか、わからない。

 

ムスメに出会えたことは、私がこの世にいたという証だ。

 

自分より大事な存在に出会えたことは、私の人生の宝。

 

サポーターの力は最強。

 

私の人生の目的は、これだったのかな。

 

 

 

かわいらしい彼女(直腸がんの患者さん)とは、

またどこかで出会える気がする。

 

あんなに綺麗なナミダを流すことができる彼女だから。

 

彼女のところに、赤ちゃんがまたやってきてくれることも信じている。

 

 

 

ムスメと出会えたことに、あらためて感謝しつつ。

 

最大で最強のサポーターちゃん、ありがとう。

 

この世でしっかり、あなたの幸せを見せてもらうからね!

 

 

最初で最後の母娘2人旅。沖縄県恩納村の海岸(2007年9月8日)