鳥越裕介さん
乳がんの早期発見や治療などを呼びかける元プロ野球選手がいる。
ソフトバンクホークスのOB、鳥越裕介さん。
鳥越さんは、2008年に当時34歳だった妻を乳がんで亡くした。
その年、僕と千恵は、九州がんセンターの待合室で鳥越夫妻に会っていた。
鳥越さんは、僕たちが何者なのか知らないし、存在にも気づいてなかったが、妻はそのときの出会いをブログに記した。※「みんないろいろ抱えているんだな」(2008年6月3日)
3年後、アビスパ福岡のJ1昇格パーティーの席でお祝いに駆けつけた鳥越さんと再会した。僕は、九州がんセンターで見かけたことや同じ年に自分も妻を亡くしたことを彼に打ち明けた。
西日本新聞社でアビスパの番記者を務めていたため、招待されたJ1昇格パーティー。右は鳥越俊介さん。会場で記念撮影(2011年1月16日)
以来、細々と付き合いは続いたが、場合によっては、同じ困難や悲しみを経験してきた同志のように鳥越さんは振る舞ってくれた。
仕事で担当した東日本大震災復興支援事業で被災地の子どもたちを北九州市民球場に招待した際、僕を見かけた鳥越さんは、球団を通さず、「いいから、いいから。大丈夫」と言って、東北の子どもたちを選手控え室に案内してくれた。
その後、鳥越さんが、乳がん検診を啓発、推進するボランティア活動に取り組んでいることを知った。
驚いたことに、寄付金を手渡されたハッピーマンマ代表理事の大野真司医師は、亡き妻千恵の主治医だった。
死別を経験すると自分だけが苦しい思いをしていると考えがちだが、決して、そうではないのだ。ネガティブな感情を吐き出せるだけ吐いたら、多くの人が、鳥越さんのように、つらかった経験をプラスに転換できればいい。きっと、自分たちと同じような悲しいプロセスはたどってほしくない、との思いが発端となった活動であろう。他界した相手もきっと喜んでくれるはず。大切なことに気づかせてくれた再会だった。
みんないろいろ抱えているんだな(2008年6月3日)
その日、
いつものように病院へ。
待合室はいつものように大盛況。
その中に、
あるスポーツ選手がいた。
背は190センチ近く。
身体は鍛え上げられて、筋肉隆々。
年は30歳になるかならないかくらいだろうか。
まだまだ若いイケメンスポーツ選手。
その隣に、
こういう人のことを、
「可憐」って言うんだろうな、というくらい、
細く、儚く、美しい女性がいた。
奥様なのだろう。
私と一緒の待合室にいらっしゃるということは、
同じ病を抱えているということだ。
採血に行く私と入れ違いで、か細い彼女の腕をしっかりと握りしめ、
彼は会計の方へ向かって帰っていった。
家族が、がんになるということ。
一大事だ。
私も、自分のことだから、いいんだ。
私ががんでよかった、と心から思うのだ。
もしこれが、大事な旦那やムスメだったら・・・
私は、どうしたらいいかわからなくなり、
看病に疲れ、
ジタバタし、
とっくの昔に投げ出していたかもしれない。
自分のことだから、痛みもつらさも加減がわかるし、
乗り越えていくことができるのだ。
彼もこれから、奥様をサポートしながら人生を歩むことになる。
帰っていく彼らの姿を見送りながら、
「みんないろいろ抱えとるっちゃね・・・」と、つぶやく。
その選手をココロから応援したいと思った。
わたしもがんばろ。





