深層意識の力を利用し、夢を実現する -3252ページ目

「わたしは、わたしである」のホントの意味 その2


ショットバーマスターが伝える 幸せを呼ぶ人 そうじゃない人

いらっしゃいませ、マスターの濱田です。



さて、願ったことが叶うことを、

確信するって、テーマ のシリーズの、今回最終です。



叶えたい願いをリストにして、
意識の大元にオーダーすることで、
願望が実現するという知恵は、
多くの人がどこかで
耳にしたことがあると思います。



わたしも以前からこの知恵は知っていましたが、
でも、「難しい」という思いがあって、
ちょっと前までは、ほとんどやることは
ありませんでした。



ですが先日、セミナーの中で、
願いの実現をオーダーする場面があって、
せっかくだから自分もやろうということに
なったのは、先日のブログで書いたとおり。



で、願いのリストを作るときに、
「あ!これにしよう!」って思いついたのが、
「なんでも願いが叶うチカラを授けなさい」
ってもの。



いいこと思いついた!って思ったのです(笑)。



実はこれ、もとネタがあって、
ずーっと昔、子供のころにアニメをみていて、
出てきたネタなのです。



アニメの中で(たしか元祖天才バカボン)
3つか5つだけ、魔法が使えるようにるって話。



で、後ひとつしかお願い事ができない
って場面で、バカボンパパが思いついたのが、
魔法がいくらでも使えるようにしなさいって、
お願いをしたんですね。



で、それを思い出して、
わたしも願望の実現のオーダーを
「願いをいくらでも叶えられるチカラを
授けなさい」にしようと思い立ったわけです。



で、オーダー直後、なにげに開いた本が、
なぜか気になって家の本棚から持ってきていた、
ジョン・マクドナルド著の「マスターの教え」。



本を開いてビックリ!



まさに、願いを実現することの真髄が、
書かれていたのですから。



この本はもう何年も前から持っていて、
何度か読んでいるのに、
今回読んでみると、「いったいこれまでは、
なにを読んでいたんだ!?」ってくらい、
新鮮にはいっていくるものだらけでした。



そんな中で、特に印象深い一節が、
「わたしは、わたしであるという言葉の
本当の意味が分かった時、
わたしたちは、個人を越え、
宇宙の力と結びつきます」というもの。



以前は「なんじゃこれ?」どころか、
おそらく間違いなく、無意識のうちに
スルーして気づいていなかった一節です。



「わたしは、わたしである」の本質って、
なんでしょう?



この言葉を目にしたとき、
瞬間的にある本を思い出しました。



それは、故ダグラス・E・ハーディングの
「今ここに、死と不死をみる」という本。



この本は、悟りを得る前に、
悟りの状態を疑似体験するワークが
紹介されている本。
(マニアックな本読んでるでしょ(笑))



この本のワークの中で、
すごく印象的だったものがあります。



それは、自分自身に人差し指を指して、
指先にいるのは(あるのは)、何者?って、
自分自身に問いかけるというワーク。



で、衝撃的だったのは、
今、指差している存在は、
指差している先にある身体に
収まりきるようなもの?というもの。



重要なポイントなので、
もう一度書きますね。



自分で自分を指差して、
指差している先にあるのは、
わたしの身体なのだけれど、
わたしがわたしと認識している存在は、
自分の小さな身体にはたして収まっている?
っていうこと。



はじめて、この一節を読んだ時、
「ホントだ!こんな限定された
身体のサイズの中になんて、
収まっていないじゃん!」って気づいて、
なんだか分からないんだけど(これホント(笑))
すごく、なにか目が開かれたような感覚でした。




そして、それまでわたしは、
自分の身体が、自分だと思っていたとか、




自分の経歴や仕事が自分と思っていたとか、



自分の名前が、自分だと思っていたとか、



自分の育ってきた中で経験してきた、
「記憶」が自分だと思っていたことに、
気づいて、衝撃を覚えました。



「あ!自分って、これが自分だと思っていたけど、
自分がこれまで思っていたのは、
実は真の自分じゃなかったんだ」って。




それまでは、記憶とか体験とか、名前とか、
好き嫌いとか、それらをひっくるめた、
濱田浩朱という「自我」のことを、
わたしだと思っていたこと。




でも、本当の自分、真の自分は、
誰でもない「真我」のことなんだな、
多分って感じた初めての体験でした。



つまり、本当の自分とは、
自分と思いこんできた一個人という「自我」
のことではなく、




自分という端末をとおして世界を見ている存在、
存在の大元のことなんだなということに、
(なんとなくですが(笑))気づいたんですね。



今回、「わたしは、わたしであるという
本当の意味」という一節を読んだ時、
本当の自分とは、自分という存在を通して、
世界を見ている真我、



存在の大元のことなんだなって、
はじめて気づいたんですね。



そう、実はオーダーしていた意識の大元は、
実は真の自分のこと(存在の根源)なんじゃん
って気づいたわけです。



いろんな賢者や、半端なく成功している、
幸せな成功者たちが、神様はどこにも存在して、
そして自分自身がそうなんだっていっていた、
そのものなんじゃないの?っていたったわけです。



で、気づいたんだけど、
そのとおり!そのものズバリ!
それ以外ありませーんってところまでは、
残念ながら、マスター、いたっておりません(笑)。




どうもそうらしいというのを、
垣間見た感じです。



でも、着実に、真実に近づいて
いっているじゃないかと、
(知識じゃなく、体験として)
それって、素敵じゃんって思う、マスターでした。


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