本日は田原坂散策です!

 

麓の豊岡眼鏡橋からの標高差はわずか80mの田原坂。一の坂、二の坂、三の坂と頂まで

1.5kmの曲がりくねった道が続く。この道だけが唯一大砲をひいて通れる道路幅(3~4m)であり、この坂を越えなければ官軍の砲兵隊は熊本まで進めませんでした。官軍にとっては生死を制する道であり、ともに戦略上の重要地であり、この平凡な坂道が激戦の舞台となりましたキョロキョロガーン

 

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西南戦争当時の古写真ウインクガーン

 

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現在は舗装されて広くなってますが真顔しょんぼり

 

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凹道

加藤清正は熊本城からこの坂までの15kmを道を深く掘り下げた凹地とし、途中の向坂や

田原坂を城北防衛の要地としていました。凹道は道の両端に土手を積み上げた道で、

この土手に隠れて通過する敵を攻撃するようになっていました。当時、田原坂は玉名(高瀬)から熊本に通じた大砲や荷馬車の通過出来る唯一の道でした。田原坂は一の坂、二の坂、三の坂と分けて呼ばれ、一の坂は鬱蒼とした木々に囲まれた険しい勾配で前方の視界を遮る鈎型の坂道で、二の坂は比較的勾配の穏やかな坂道、三の坂は道の東側は土手であるが、

西側は田原坂頂上からみて正面にせりだした舞台のようになっていました。薩摩軍は

この三の坂に幾重にも陣を重ね、丘上からの銃撃に官軍はなすすべが無かったのですびっくり

 

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七本(ななもと)柿木台場薩軍墓地

明治10年3月初旬から 4月中旬まで続いた田原坂周辺の戦いで、木留・七本原付近で戦死した薩軍や熊本隊の兵士329名が埋葬されています。地域的に見て官軍が田原坂の攻略に成功 した時期の死者とみられます。ここが3月20日、官軍の総攻撃によって田原坂陥落の

きっかけとなった陣地でしたガーンウインク

 

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七本官軍墓地

西南戦争で戦死した政府軍人・軍夫・ 警視隊を埋葬した官軍墓地は熊本県内に21ヵ所

つくられているそうです。この七本官軍墓地には、植木や吉次・木留、辺田野・平野・滴水などで戦死した各鎮台および近衛兵300余名が埋葬されています。 大きな二本の木の下に

実際の死体は埋められたと伝えられていますポーンおーっ!

 

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おぉ~ゲッソリ滝汗

ここらへんは出るそうですニヒヒゲロー

 

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熊本名物「きびきび煮つけ」!

 

 

どすチューチューどすゲラゲラゲラゲラ