本日は長州人みちのくを行くその14です!
 
 
さて、飯盛山の麓に会津藩の本陣跡があります。
 
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もともとは農民の住宅ですが、地の利から会津藩主の休憩場所となりました。白河街道の滝沢口
 
にあります。横山家は16代を数える旧家で、主屋の部分は郷頭の住居として古い農民住居の形を
 
残しています。藩から本陣の指定をうけました。休息が目的の本陣で、参勤交代や領内巡視、
 
土津神社祭礼の時などに使用されました。戊辰戦争のときは会津藩の本陣となり、藩主松平容保が
 
ここで白虎隊に戸ノ口原への出陣を命じました。後には西軍の屯所となったので、柱には当時の
 
刀傷や弾痕が生々しいです。
 
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内部の様子です。
 
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古いものですな~
 
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茅葺きの屋根におおわれた書院づくりの建物は、現在国の重要文化財に指定され、御入御門、
 
御座の間、御次の間などが当時の姿のまま残されており、さらに歴代藩主の愛用した身回り品、
 
参勤交代の道具類、古文書なども保管されています。
 
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戊辰戦争では、藩主松平容保が前線激励のため、自ら滝沢峠の麓に本陣を構えて、滝沢峠を
 
越えてくる敵兵を迎え討とうとしていました。そのおりに護衛としてついたのが白虎隊です。
 
母成が破れた報に接した容保はこの本陣で指揮を執り、士気を鼓舞します。しかしさらに悲報が
 
相継ぎ、最終防衛線たる十六橋までもが突破されるに至り、そこへ戸ノ口原の前線から援軍を求める
 
急使がきて、ついに藩主親衛隊としての白虎士中二番隊の戦線投入が発令されたのでした。
 
白虎士中二番隊は、この地から自らの死地へ向って勇躍出陣して行きました。
 
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今も残る当時の男根弾痕。
 
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刀傷
 
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ここで飯盛山を後にし、次へ向かいます。
 
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降伏直後の鶴ヶ城。ズタボロです!
 
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宿はここです!
 
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会津名物「会津そば」!
 
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