本日は長州人みちのくを行くその12です!

ふるさと、会津をまもるという、純粋な気持ちで戦場におもむいた、16、17歳の少年たちの悲劇が
今に伝えられているものです。白虎隊が自刃した飯盛山のお墓には、今も訪れる人が絶えません。

お墓

体験したことのない凄まじい戦闘と、敗走、睡眠不足と少年たちは疲れ切っていました。
そして、高台からみた鶴ヶ城は黒い煙につつまれ、五層の天守閣の白壁には赤い炎が
燃えさかっているようにみえました。また、ほんど火の海となった城下からは、絶え間なく砲声と銃声が
とどろいています。少年たちは予想もしなかった この光景に思わず息をのみました。
命とたのむ鶴ヶ城も もはや、落城の運命かと思うと全身の力が一度に抜けていってしまうような
悲しさが、少年たちの胸にこみ上げてきました。「城を枕に討ち死にするつもりでここまできたが、
もうお城へ入ることはできない。すべてはおわったのだ。」一人がこういってがっくり首をたれました。
すると傷ついた一人がいいました。「このままぐずぐずしていれば、敵の手にかかって後の世までも
恥じをさらすようなことになるぞ」「そうだ、最後まで会津の武士らしく、いさぎよく、みんなここで
切腹しよう。」こうして、少年たちは、遥かにお城をのぞむといずまいをただし一礼してから自刃しました。



飯盛山からの鶴ヶ城


松平 容保公(まつだいら かたもり)弔歌の碑



飯沼貞吉の墓
飯盛山で自決した白虎隊の唯一の生存者。日新館就学中に戊辰戦争が起こり、白虎隊中二番隊に
入隊。二番隊は飯盛山で全員自刃したが貞吉は助けられ一命を取り留める。



会津名物「こづゆ」!

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