今日は 雲一つない 素晴らしいお天気ですね。
毎朝 空を見ながら テラスでフラフープしていますよ。
今日は 何しようかなとか いつ 旅に出れるかな とか考えながら
10分間 回します。骨粗しょう症にならないためにも 日焼け止めを塗る前に
少しは お日様に当たらないとね![]()
では 下書きしてた四国旅行の続きです。
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朝 不思議な夢を見ました。
息子家族と熱海の温泉に行こうということで
熱海駅で待ち合わせ。
(なぜ 熱海かというと 以前まだ息子が東京にいる時に
一緒に行ったことがあるからかな?)
孫が出て来たんですが なんと すごく背が高い高校生ぐらいになっている!
え~? ちょっとみないうちに えらい大きくなったんだね~
ばあばより 大きくなってるやん!
と驚いた夢でした。
しかも 今は一人っ子の孫に 弟まで できていた!
コロナ渦で 随分 孫とあっていないので
こんな夢 見たんでしょうか?
昨日も 孫の動画をいっぱい送って来てくれたので
こんな夢 見たんでしょうか?
ほんと 不思議な夢でした。
足摺パシフィックホテルをチェックアウトした時は
けっこうな雨・・・
でも せっかくここまで来たんだから 足摺岬には どうしても行っておきたいよね~
いつもなら こんな雨ふってるのに・・・
というパパも 今回の四国旅行で一番行きたかった足摺岬だから
雨の中でも 出発しました。
四国最南端 足摺岬
後ろ向きに立っていらっしゃるのは・・・・
中浜万次郎 ジョン万次郎さんですね。
土佐清水で生まれ 半農漁師の次男で 9歳の時に父親を亡くすと
病弱な母と兄のかわりに漁船に乗って働いたそうです。
14歳の時 漁にでて遭難し 伊豆諸島の無人島に漂着し
その島で生活して143日目にアメリカの捕鯨船に助けられました。
当時 日本は鎖国中で日本に帰ることもできず 船長に気に入られた
万次郎は 船長の養子になり アメリカにわたり 学校に通います。
日本に帰って来てからは 活躍は有名ですね。
展望台まで行ってみましたが 嵐のような天気になってしまいました。
凄い風で さしていた傘の骨が折れてしまいました![]()
こんな嵐のような朝に 足摺岬に来る人は 誰もいませんでした。
では 松山に向かう途中に 宇和島によります。
道の駅 うわじま きさいや広場で お昼ご飯を食べます。
太刀魚ちりめん丼
太刀魚を竹に巻き付けたものが 丼からはみ出てます。
こんな感じで 太刀魚食べるの初めてです。
宇和島チャンポン
宇和島城 桑折氏武家長屋門
登り口は 南と北の2か所あって こちらの北の方は
坂がきつい方だったそうです。
植物が いっぱい咲いていて
植物を観るだけでも楽しめます。
これは 踊子草だったかな?
こちらの桜は満開
宇和島城は 天守が現存する12のお城の中の一つです。
ここまで ほんと坂がきつくて 私なんて 息たえだえ・・・
宇和島城 天守
宇和島城が建てられたのは1601年。
築城の名人と言われる藤堂高虎によって建てられました。
その後 伊達政宗の長男 伊達秀宗が入城しました。
秀宗は 豊臣秀吉の養子だったんですが
関ヶ原の戦いで 秀吉が負けて 徳川家康の時代になってしまったことから
立場が悪くなり 伊達家を継げなくなって ここ宇和島で伊達家の別家として
スタートすることになったのです。
そうして伊達秀宗から始まった宇和島伊達家の影響で
現在でも 「宇和島市立伊達博物館」があったり
2015年には 「宇和島伊達400年祭り」のイベントが行われたり
しているようです。
こちらは 1860年の天守改修の時につくられたひな形だそうです。
高知城もそうでしたが 普通お城の壁には反撃するために銃を撃つ穴が
あいていますが この宇和島城には そのような穴が見当たりません。
天守に障子がいれられ 明り取りになっているというのも
階段の手すりに 丸みをおびた細工がしてあるというのも
珍しいですね。武装をはずし シンボルとして建てられた天守は
平和の象徴だそうです。
天守からの眺め
当時は 海に面して建てられたお城だったんですね。
お城好きの方に 勧められた宇和島城ですが
ほんと 来てよかったです。
どんよりしていますが この時は 傘をささずに 歩けました。
青空に桜に宇和島城 綺麗でしょうね~
では 3泊目の宿泊地 道後温泉に向かいます。


















