藤姫の"着物でお出掛け”日記 -2ページ目

藤姫の"着物でお出掛け”日記

着物が大好き、着物周りの小物を作るのが好き。

小物や作り帯の作品紹介や、着物でお出掛けの日のコーディネイト紹介など、

を中心に着物ライフを綴ります。



庭園は紅葉が美しい。この門の奥に茶室がある。




10日はマイミクさんのご縁で五島美術館の墨林会の茶会へ。

淡黄色唐松地紋色無地一つ紋付きに銀地唐草鳳凰紋袋帯。



五島美術館の茶室は一度拝見したいと思っていたので良い機会をいただいた。

今回は鎮信流がお席を担当された。

まずは古経楼(こきょうろう)で濃茶。

古経楼とは古写経を好んだ五島慶太翁の号。
十二畳半間、及び八畳間。


(お茶室の写真3点は、五島美術館公式サイトより)

寄り付きには大石内蔵助
号 可笑(かしょう)の画。

隠しテーマは赤穂浪士か。

主菓子は銘を伺わなかったが、雪を思わせる白いきんとんを長方形に固めたものだった。



格式高い真台子のお点前。

自分の稽古している流派では真台子の相伝は男性のみだが、鎮信流は許されているようで女性のお点前でした。

主茶碗は粉引のような白っぽい肌合いの井戸茶碗。お道具は美術館のガラスの向こうで拝見していたような名品ばかり。


お軸も選りすぐりの古筆三幅を一幅にまとめた珍しい仕立てのもの。

五島美術館館長の名児耶明さんも和服姿でいらして、お軸の解説や定家様などの古筆の話をしてくださった。

対の染付の大きな花入に紅白の梅(聞き忘れました。梅には早すぎる?)の花が丈高く入れてある。




そのあと、小間の松寿庵(しょうじゅあん 
四畳台目隅板 簑原善次郎氏設計 小堀遠州好みの席をもとにしている )での薄茶と、大寄せのお茶会とは逆な感じでした。




今回の茶会は100名限定のプレミアムチケットということで、10名ずつのグループに分けてのお席入りというゆったりしたシステムなので、待ち時間もほとんどなく、スムーズで快適でした。


薄茶席の釜は環付が蝉の形で珍しいものでした。

こちらのお菓子は長崎の老舗、平戸蔦屋のカスドース。

カステラに卵黄をからめ、砂糖をまぶした甘くて美味しいお菓子でした。


http://www.hirado-tsutaya.jp/
平戸蔦屋サイト


点心(調製 自由が丘 竹生)席
は富士見亭。

茶室各部に奈良西大寺山門の古材を使い、履き物を履いたまま腰かけられるようになっている立礼席。

大きな窓から昔は富士山の景観が楽しめたという。
現在は残念ながら高層ビルに阻まれ富士山は見えないようだが。



今年の茶会納めにこのような素晴らしい茶会に参加できて幸せでした。



















有名な世田谷のボロ市、平日休みと重なったのでチャンスとばかり行ってみた。

東急世田谷線の中吊り。

増発など全面協力態勢をとっている。


https://www.tokyo-cci.or.jp/setagaya/boroichi/
(商工会議所のサイト)



なるべく早く会場に到着したかったが、いろいろあって着いたのは結局お昼頃。

もうこんなすごい人出でした。


名前のようにもともと古着が多く出されていたこともあり、着物関係のお店もたくさんありました。

状態やサイズにもよるが、1000円の着物も!

籠の中の帯締めはすべて500円とのことで、一本お買上(笑)

戦利品報告はまた、後日に。

事前に昨年のボロ市に参戦した人のブログを読んで予習していたら、気に入ったら即購入とあったので。

チェックしておき、後で買おうと思ってもこの人混みの中、全部回る頃には疲れて戻るのも面倒という気分になりそうだし、方向音痴の私にはちゃんと戻れる自信もないので。

お気に入りが残っている保証もないしね。

初めてのボロ市で様子もわからず、テンションが上がったか、入った着物関係の店、初めの一店でいきなり買ってしまいました。

なので、そのあとはやや戦意喪失(笑)で、おとなしく見て回れました。


こちらはやや高額な品揃え。

でも帯は3,000円からありました。

黒の博多帯の美品は二万円くらいの値がついているようでした。



リピーターも多そうで、手慣れた感じで品物チェックをしていました。



お茶の稽古をしている者として、一応茶道具もチェックしましたよ。

こちらのお店は棗がきれいにディスプレーされてました。






陶器関係のお店には抹茶碗もいろいろ。

一つ買いました。
箱書きがあって、作家名もはっきりしていたので。



飾り棚に茶碗、茶筅、棗などが揃っているものも。




茶釜もみつけましたよ。

毛皮のコートの裾がかかっちゃってるところが、カオスです。

修行が足りないので、こういうところで大物の茶道具を買う勇気はありませんが。

まだ見ているだけで楽しいというレベル。

でも、ある店で、「煙草盆はありますか?」と聞いていた方もいて、お茶の方?
と思いました。

右手前も、棗や茶杓など、茶箱?みたいにセットになっているもの。








着物や茶道具、陶器以外にもいろいろ。
お雛様もありました。

植木も。


 

http://www.wansei.com/

昨日、岩波ホールで映画
「湾生回家」(わんせいかいか)を観てきた。


″「湾生」とは
戦前の台湾で生まれ育った約20万人の日本人を指す言葉です。″

(映画パンフレットより)

母は1922年に台湾南部の台南で生まれ、終戦で父母の故郷である沖縄に引き揚げてきた
いわゆる″湾生″である。

母はそれからおよそ67年も沖縄に暮らし、二つの故郷を持つ人であったが、母にとっての故郷はやはり台湾であったようだ。

暮らした年月は沖縄のほうが長いのだが。

折に触れ、台湾時代のことを懐かしそうに話していた。




台南の製糖工場勤務の父のもと、その社宅で生まれ育った。

地理的に近いせいか、周りはやはり九州出身の方が多かったようで、その影響も少しあったようだが、″標準語″に近い話し方をしていた。



この映画の中で台北生まれの湾生だという80代の女性の言葉が、母や叔母たちの言葉にかなり似ていて懐かしかった。

母の周りの「湾生」の人たちは、戦後落ち着いてきて、台湾旅行が可能になってからは、望郷の思いから、戦前に暮らしていた
地を訪ねていたようだった。

卒業した女学校がそのまま学校として使われていて、建物が残っていたなどと、台湾旅行をしてきた同窓生から聞いたと話していたこともある。


その話を聞いて、私は母にも台湾旅行を勧めたのだが、
「もうあの頃の台湾とは違うから・・・」
と、母自身は決して行こうとはしなかった。

大人になってからは、私も母の思いをある程度理解できるようになったが。


昨日この映画を観て、「湾生」にとっては、故郷はあの特殊な時代背景の中の幻のような地であり、たとえ物理的には同じ場所に立てたとしても、そこはあの頃とは違う場所なのだという寂しさがよくわかり、母の気持ちに少しは寄り添えた気がした。