ノート:また書庫修正しました。フローがいた4年間、みぃこ、Tiger、フローの
3にゃんについて書いた記事はすべてこのMikoとTigerとFloの書庫に移しました。
どの猫が主立った記事であっても、結局3にゃんを思いながら
書いていた気がします。3にゃんにはどんな年月だったんでしょうね。

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フローの最後の数ヶ月のケアを中心に記録しました。ケアは症状の緩和のみで、
検査も薬も最低限に、とやってきました。ですが、それでも読んでいて
辛くなる方が多いかと思います。

でもフローがどんなに頑張ったか知ってもらえたら、
読んでいただけたら嬉しいです。
フロー、ホントに頑張りました。とても偉かったです。

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2012年11月の中旬の更新の後、フローの腎不全の具合は急激に悪化しました。
同じころ、立て続けに2つの出張が重なってしまい週末を挟んで合計2週間半、
家を空けることになっていました。

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スペイン語を始めた私とフラミンゴ旦那。
フローのあだ名はガータ・ペケーニャ(ちっちゃな猫)

翌週からの長期の留守を控え、ネットでリサーチ、猫の腎不全の
サポートグループに参加、出張中も記事を読み漁りました。
出張前の吐瀉物に強烈な胃酸の悪臭があった為、サポートグループで
勧められた胃薬の投薬をメールで担当獣医とシッターさんの病院の獣医の
確認を取って始めてもらいました。食べるものなら何でもと留守中には
シッターさんが色々な処方食の缶詰を持って来てはあげてくれました。

2つの出張の間の週末、シッターさんが勤めている病院でフローを
見て貰いました。検査結果が出る日には2つ目の出張中だった為、
やはりメールでシッターさんと連絡を取り、悪化した腎不全を
コントロールする為の皮下輸液も始めてもらいました。
皮下輸液は週2回から始まり、すぐに1日おきになりました。
抵抗のある方も多いかも知れませんが、通院のストレス、私の勤務時間を考え、
資材を貰って自分でする自宅での皮下輸液を選択しました。
輸液には貧血に良いとされるビタミンB12も加えて貰いました。
胃酸から来る口内炎の緩和と食欲の増進を狙ってステロイドも
あげることになりました。又、腎臓サポートのサプリも試しました。

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後姿のフロー。ミ・ガータ・ペケーニャ(私のちっちゃな猫)


12月初旬の出張中はフラミンゴ旦那がいてくれましたが、
フローの病状の確認の為、1日1度、シッターさんにも来てもらい、
フローの投薬と皮下輸液をお願いしました。これは年末年始、
私が日本帰国をした時も同様にしました。

12月の初めに皮下輸液を始めてから2週間後の血液検査では
クレアチニンの数値の改善が見られました。が、口内炎と涎の改善は
見られませんでした。この為、液体の口内炎の薬も試しました。
シリンジであげる液体の薬を、フローはとても嫌がりました。
その内、血尿が頻繁に起こるようになりました。この薬はフローには
ストレスが高すぎると判断し、数日後、中止しました。
口内炎は腎臓の数値の改善が進むにつれて改善されました。

腎不全の数値の改善から見て、涎、食欲不振の別の原因(癌)を疑って、
専門病院で腹部の超音波の検査をもしました。が、腹部には癌の兆候は
見られませんでした。別の原因を調べる為、胸部のレントゲン検査を
勧められましたが、担当医と話し合いの上、もし胸部に癌があったとしても、
症状(涎、胃酸等)との関連性は薄いと判断し、レントゲン検査はしませんでした。

血尿に対して、尿検査をして貰いましたが細菌は見つかりませんでした。
フローの場合、ストレスによる血尿が初めにあって、
膀胱に大量の血があるために細菌が繁殖しやすくなり二次的に膀胱炎を
起こしていたのだろうと、膀胱の環境改善に良いとされる
グルコサミンのサプリも加えることになりました。

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マス コミーダ ガータ・ペケーニャ?(フロー、もっとご飯?)


グルコサミンサプリはフレーバーが付けてあるので、カプセルをあけて
フードに混ぜるのが一般的なのですが、フローは混ぜると食べなくなるので、
カプセルを利用して胃酸の薬、ステロイドも中に入れて1回で
飲み込るようにしてあげました。

1月の初めの数週間、フローは2度嘔吐しました。吐瀉物には前ほど
胃酸の悪臭はありませんでしたが、皮下輸液をして補っている水分を
大量に失ってしまい体重も減ってしまうので、少しでも胃を荒らす可能性の
あるものを排除する為、担当医と話し合いの上、腎臓のサプリを中止しました。

1月の再度の血液検査で腎臓の数値は改善されたままでしたが、
貧血の数値に悪化が見られました。1月末からは毎週の通院を必要とする
赤血球増進ホルモンの投与を始めました。皮下輸液は毎日になりました。

1月末から2月末の4週間、私達は貧血の数値を少量の血液採集で確認しながらの
ホルモン投与の為、毎週1度病院に通いました。最終のホルモン投与をした
2月23日の検査では貧血の数値が大幅に改善されていました。
が、フローの症状(ふらつき)に改善は見られませんでした。
血液検査では改善しているのに、症状の改善はない。。。
検査結果と症状の差異にどんどん疑問が膨らんで行きました。
本当に治療の甲斐はあるのか?どうせ症状が改善されないなら
治療を止めたほうがフローには良い(楽なの)じゃないか?
フラミンゴ旦那とも話しあいました。結局、治療していなければもっと悪く
なっているかもしれない可能性もあるとして、治療を続けることにしました。

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マス アグア ガータ・ペケーニャ?(フロー、もっとお水?)

オフロの蛇口からのお水が大好きでした。


でもその翌週、2月25日月曜日の未明、私はドサッと言う音と
シャーと言う声で目が覚めました。暗がりで目をこらすとベッドの傍で
フローとみぃこがにらみ合っていました。フローがふらついて
床に降りる時に着地に失敗して転んだ後、どちらかがびっくりしたのだ
と思います。またうとうとし、気がつくと私の胸の上で寝ていたフローが、
立ち上がって降りようとして、私の腕と体の間に転んでしまい
数秒間動きませんでした。警笛が鳴りました。
人間の胸の厚みはホンの数十センチ。健康なら自分の体の高さの
何倍もの高さから飛び降りても平気な筈の猫が。。。
そして起床後に床に大きな嘔吐の染みも見つかりました。
この朝、フローはほとんど何も食べませんでした。

月曜日の午後仕事が忙しくて週末には来れるなかったフラミンゴ旦那が
来てくれることになっていました。月曜日、火曜日と、旦那は私の家で仕事をし、
フローを見てくれました。何度も何度もご飯をねだり、でもあげると
少し舐めるだけでほとんど食べないとのことでした。火曜日の夜、
旦那が寝入った後にフローの体に触って見ました。食べていないので
体温調節が出来ず、体が冷たくなって来ていました。

水曜日、食欲の低下と体温の低下から、旦那も私も、フローの命が
後数日であるのを受け入れました。そして旦那はその翌日の朝にフローを
安楽死させるべきだと言いました。水は飲んでいましたが数日間ほとんど
何も食べないフロー。数日の命であるなら、その数日、これ以上辛い思い、
ひもじい思いをさせないように、と言うのが子供のころからそうしてペットを
見送って来た両親を見ていた旦那の判断でした。来週までもし持ったとしても、
私たちが出張でいない時、シッターさんもいないかも知れない時に
フローを逝かせたくない、と思っていた私は、その判断に従いました。

水曜日の午後は、フローが最後の最後まで出来る限り快適に過ごせるように、
ねだられたら新しい缶詰を開けては舐めさせ、水の傍に行けば容器を持ち上げて
飲ませました。この日から水も余り飲もうとしない時が多くなりましたが、
それでも数回に何度かは最後まで飲んでくれました。最後の夜は私の胸の上で
寝ていたフローですが、何度か起き上がっては水を飲みに行きました。
水は出来る限り新鮮なように飲もうとしているのに気がつく度に入れかえました。
猫トイレのすぐ横ですることの多くなったおしっこの為に敷いていた
ペーパータオルも気がつく度にかえました。

安楽死をする木曜日の早朝、2匹の猫に少し遅れてフローはご飯を貰いに
台所に来ました。色々なフレーバーの缶詰を5つ開けましたが、
一つを3度ほど舐めた以外は何度も欲しそうにするのに一度舐めるか舐めないかで
やはり食べませんでした。

ご飯をねだるのを止めると、何度も何度も猫トイレに行き始めました。
うんちをしようとしているようですが何度行ってもなかなか出ませんでした。
それでも最後にちっちゃなうんちができました。うんちの硬さも確認しましたが、
適度なやわらかさがあったので、脱水症状にはなっていなかったと思います。
偉かったね、偉かったね、と泣きそうになりながら褒めましたが、
フローはそれでも何度も猫トイレに行くのを止めませんでした。
今度はもう膀胱は空っぽなのに出ないおしっこをしようとしているようでした。

安楽死にはずっと抵抗があった私ですが、最終的にはこの決断で良かったと
思っています。物言わぬ動物の最期を人間が決めるなんて、と思っていましたが、
安楽死は日本の切腹の介錯と同じなのだ、と思われました。
もう既に始まった死への旅路の苦しむ時間を短くさせる為の。。。

獣医に行く車の中、キャリーは使いませんでした。フローが良く座っていた
ソファー椅子の上に敷いてあったフリースのひざ掛けにくるんで
抱いていきました。車の中でフローは少しも暴れず、唸らず、
じっとしていました。

安楽死のプロセスの説明を受け、カテーテルをつけられて小さく唸っている
フローに話しかけて落ち着かせ、私とフラミンゴ旦那で順番に最後のさよならを
言いました。少し落ち着いて唸り声がおさまった時、睡眠薬を打ってもらいました。
何度も何度も撫でて、声をかけて、そして最後のインジェクションを
して貰いました。あんなにぼろぼろと涙が出るとは思いませんでした。

フローの遺灰は小さな箱に入って、「Until we meet again at the rainbow bridge
(虹の橋でまた会えるまで)」と言う刺繍のあるポーチに入れられて
戻ってきました。フローの遺灰が安住出来ると思える場所に出会うまで
持っていて、そんな場所が見つかったらその場所に撒きたいと思っています。
今、フローの遺灰はリビングを見下ろせる飾り棚の上に置かれています。
私やフラミンゴ旦那や2にゃんを見下ろせるように。

何年も前から多飲・多尿の傾向のあったフローですが、
去年の6月に腎不全と言われてから、10月末に状況が悪化するまで、
処方箋の腎臓食をあげる以外のことは何もしませんでした。
最後の数ヶ月に死に物狂いでリサーチして学んだサプリや薬を
もっと前から少しでも試していたらもう少し長生き出来ていたのかも知れない、
と思います。フロー、ごめんね。そして、ありがとう。

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