関西の中学校で、
関西のノリツッコミ+オチをつくらなあかん!という
鮮烈なる洗礼を経て、
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これ、未だにオチつくらなあかんのちゃうか?って恐怖観念もってる(笑)
高校時代は、
マイナーな芸人ネタから、関西の鉄板ネタまでを
フツーにしゃべれるというレベルまでの洗礼を受けることになります(おおげさw)
いや、この関西のノリというのは、
わたしにとって、どんだけ救いだったかわかりません。
ぎゃあぎゃあ喋って、ケタケタ笑って、
ネガティブなことは、コロっと忘れるくらいの爽やかさ!
高校時代は、地域にもとらわれず、
大阪の私立の女子校に行ったので、
集まる生徒も、関西一円幅広く、
そして、帰国女子や社長令嬢も多くて、
ある意味、じぶんのバックグラウンドとか全く関係なく、
ほんとうの意味で、じゆうに、
したいことができる環境にありました。
校則。
スカートは膝上10センチ。
フツー逆やろ!!!
とツッコミたくなる制服の規定も、
関西では、誰もが一度は着てみたい超☆人気制服の学校だっただけに、
みんなおしゃれ感覚も鋭くて、綺麗な子ばっかり。
実際、女学院(わかるひとはわかるかな?)に通うようになって、
じぶんの暗黒時代のことも忘れて謳歌できるくらい、
毎日が楽しくて、楽しくて、楽しくて、
通学1時間がキツイなーと思ったりはしたけれど、
今でも、女学院を卒業できたことを誇りに思うし、
そこで学べたことがほんとうに素敵な思い出になっています。

ところが。
この、日々の充実が、
結果的に、呪縛から抜け出れないということも引き起こしました。
簡単に言えば、環境が変わって、
居心地が良くなった反面、じぶんを見直すという機会を失ってしまったのです。
じぶんのアイデンティティーは、
まだじぶん自身ではなく、
いかに親がしあわせに感じるか。
ここが、常にベースになっていました。
じぶんのしたいことをしているつもりが、
いつでも、どこでも、でてくるのは、親の顔。
いつまでも、じぶんの中身がでてこないままでいました。
母
は、若いころ、小規模ながらピアノの先生をしていて、当時は珍しく、イギリスの子と英語で文通をしていたことがあって、
わたしには、小さいころから、
わたしにピアニストか通訳になってほしいという夢を語っていました。

そして、実際わたしは2歳半からピアノを触り、
小学生時代は、東京芸大卒の先生の元にピアノのレッスンに行っていました。
・・・嫌いだったけど(笑)
父
は、家柄が貧しいながらも、高校卒で、当時の大検も受かって、司法書士を目指していて、あえなく挫折。
専門は化学系だったにもかかわらず、就職したさきは、不動産を扱う部門で、
いろんな危ない橋も渡りつつ、サラリーマン生活を生きてきたひと。
(その後、会社の系列も変わって、扱う仕事もガラリと変わって苦労もしたひとです)
父の夢は、こどもが文系なら法律家に、理系なら薬剤師のような
いわゆる資格を武器に、自立できる道をすすんでほしいということ。
・・・じぶんのような苦労をしないために。
実は、この両親の夢は、事あるごとに、
わたしと弟に、今思えば、刷り込まれるように話していたように思います。
で、実際。
わたしは、文系で、通った高校は
世間一般では英語教育のしっかりしたところ。
そして、大学の第一志望は法学部。
または、英語を当たり前のように使う大学か、東京のミッション系大学が志望。
進路指導のときに、
あたりまえのように固まった方向性に、
なんの違和感も感じず、
法学部に受かれば、司法試験を目指して、法曹(とりわけ検事)を目指す。
英文系に受かれば、緒方貞子のような高等難民弁務官、もとい国連職員を目指す。
という、今思えば
絵に描いた餅のような夢を飄々と語っていました。
そして、現役で、関西では、法学部につよい大学に合格・進学。
これまた、あたりまえのように司法試験をめざしました。
つづく。