エンパス体質の人は空間のエネルギーや人のエネルギー、感情を察知して体感覚でまるで相手の感情を自分のことのように感じとってしまうということがあります。


人間関係の中には罪悪感という感覚がインプットされています。


人に親切にしないといけない。


人に優しくないといけない。


人に求められることに対して答えないといけないなどです。


なぜならそうしないと愛されないから。
と信じているから。


エンパスの人が相手に合わせてしまうのは、相手の立場や感覚がわかってしまうということがあって、これに合わせないと罪悪感という感覚が出てくるようになっています。


道徳的な社会常識から自分を蔑ろにしてでも相手に合わせるという暗黙のルールのようなものが人間社会の常識になっているからです。


これをしたら嫌われなくて済む、波風たたずに済むと教えられてきたのですが、これをしたら実は人から嫌われるし、波風が立ってしまうってことを最近体感しました。★


なぜなら自分と離れて自分の中の調和が崩れるから。


不協和音になれば人間関係もギスギスしだす。


わたしの中で今、周りの人間関係は空気を読まなくても良いくらいに自然な人間関係なのだけれど、逆に合わせなくてはいけない、求めてくる事に応じなければいけないって感じてしまう人間関係っていうのは実はバランスが取れていない人間関係だったりします。


合わせなくてはいけない関係性っていうのは恐怖を元に繋がった関係性だからです。


恐怖から相手に合わせていたのだとしたら、それはヘルシーな関係性ではありません。


その関係性の中のどこかに嫌われないようにとか、利益のためとか恐怖が元になるものがあっていつもそこで繋がってしまうとしたら、潔く恐怖から繋がる関係に終止符を打ってしまうと恐怖は起こりません。


仮にそれで相手から嫌われたとしても、それは相手の問題なのです。



合わせてしまうということは、自分で満たすべきスペースや自分で向き合うべきチャンスを相手から奪ってしまうことになるからです。


本当は相手に求められることを反射的な習慣で与えることよりも、自分が求めていることに答えることの方がずっと周りをも幸せにできる。


現実に現れるそのレスポンスが凄く早いです。


それで、この体感覚を大切にする上で土台となっていることがあります。


それが普段セッションでお伝えしていることです。


何が起きても完全に大丈夫だと信頼できる感覚を取り戻すことなんです。


何か目に見えない何かに守られて抱かれている感覚。


人間は、頭で恐怖を感じると防御したり守りの姿勢に入って心配を始めます。


この繋がる感覚を忘れてしまい、足掻くことでどうにかしようと躍起になってしまうからです。


悠長にそんなこと言っていられないだろうと言ってジタバタ足掻いてしまう習性があるからなんです。

でも、足掻いているとより泥沼に入っていってしまいます。


アインシュタインの名言にもありますが、問題を創り出した次元、同じ意識ではその問題を解決することができないという言葉があります。


わたしは、この問題を昇華して、現実に生かしていくことができるのが自己肯定感であり繋がる意識だと考えています。


ここと繋がっていない時、人は潔く手放したり委ねることを恐れてどうにか繋ぎ止めようと現実にすがりついてしまうからなんです。


長くなるので次回のブログで書いていきますね★