小林哲夫さんの「神童は大人になってどうなったのか」(2017年 太田出版)

 

  たしか、笠井潔さんのミステリー論を読んで以来、ずっと小説しか読んでいないような気がしましたので、図書館で「天才」についての本をみつくろっていたところ、この本が目に付いたので奥付をチェック、まあまあ新しい本だったので借りました。

 

 新しさを重視したのは、この手の本は往々にして、初版発行から5年もたてば、鮮度という点で台無しになり、たとえブックオフで1円で売られていたとしても(そんなことはマニュアル上、厳禁でしょうが)、街頭で無償配布されていてさえ、手に取る価値がなくなっているであろうからです。

  むかし、まだまだ純心だったころ、私はビジネス書をいくつか読んでいては、上司たちに「そんなもの読むひまあったら、新田次郎さんの『八甲田山死の彷徨』を読みなさい」「司馬さんの『尻啖え孫市』もいい」「いや吉村昭の『羆嵐』最高」など、ぎゃんぎゃん言われたのですが、読んでいたのは当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの中谷彰宏さんの新刊で、いわゆる「ホウ・レン・ソウ」について書かれていました。わたしは、これが中谷さん発想の概念だと思い込んで、感心してしまったのですが、もちろん誤解もよいところ、山種証券の社長さんが使い始めた造語です。その後の山種証券の運命を思うと、かなり複雑な気分になります。中谷さんの膨大な著書のほとんどが、世流のパクリであることは明らかになりました。

  たとえ、パクリでなかったとしても、ビジネスにおける「効果的な言動」のようなものを知りたければ、池井戸潤さんの「半沢直樹」シリーズのほうが役にたつとおもいます。現代の貧困を深く知りたいなら下手なリポートや解説書を読むより、少し前にあげた天祢涼さんの「希望が死んだ夜に」をお読みになることを強くおススメします。

  その点、「八甲田山死の彷徨」「尻啖え孫市」「羆嵐」も、どんなに時代がかわっても「社会の中で人間として賢明に生きる」という点を深く描いており、上司たちは慧眼といえたのかも、と渋々ながら認めざるをえないです。そのときは、すごく、うるさかったですが。

 

  さて「神童は大人になってどうなったのか」ですが、小説なら編集さんにハネられる悪文タイトルです。「なって」と「なった」の重複がウザイです。「成長してどうなったか」でも意味がとおります。ここですでに、有栖川有栖さんのミステリー評論のような、流れるような文章は期待してはならないし、島田荘司さんの講評のような読ませながら考えさせる文章も期待できないということが察せられます。

  まあ、啓蒙書っぽい著作である以上、文章というよりは内容が重要なのですが、多くのレビュワーさんが指摘するとおり、「何をもって神童」とするのか、ということを明らかにしなければ話になりません。ところが、この点で著者と多くの読者さんたちの認識が大きく乖離しているということが、レビューやコメントから解ります。

 

  たとえば、「神童」と言われて、わたしが真っ先に思いつくのは、まず、

  ・モーツァルトさん。これは、現在、存じ上げているかぎり譲れないです。

  以下、順位不同で続きます。

  ・ユトリロさん

  ・ヴィジェ・ルブランさん(美しい上に10歳までは、もろ神童でした。成長したら、チョイ上手レベルの絵描きさんになってしまった典型です。美貌のほうは劣化しませんでしたが)

  ・ゾーラ・バッドさん(南アフリカの悲劇の短距離走少女。過去の南アフリカは問題のある国でしたが、裸足で走る彼女はきれいでした)。ちなみに、ゾーラさんは「もろ神童」ですが、体育会系人は「ちょい神童」の宝庫です。

https://hama-sush-jp.pro/usmarathon/entry-10487427553.html

  ・アルファ・カリムちゃん

  パキスタン出身の少女(少女のまま亡くなる。ご冥福をお祈りします)。コンピュータの神童。ティーンにもならない幼少時、ビル・ゲイツとタメでIT関連の会話が出来た。つまり、語学も・・・・・ということですね。

  ・ラヴォワジエさん

  貴族といっためぐまれた出身だったことを差し引いても、充分、神童。奥方さまも美人で、美男美女カップルですが、フランス革命でギロチンに。

  などなどですが。

  天才に成長した神童さんは、ユトリロさんといい、モーツァルトさんといい、短命ですね。しかも、しあわせな人生だったかは、すごく、あやしい。

 

  例をあげていけばいくほど気分が哀しくなるので、このあたりで、本作「神童は大人になってどうなったのか」の中で、著者、小林哲夫さんが「神童」をどう定義しているか、明記させていただきます。

  ・東大、それも理科Ⅲ類に入学した。

  ・名門私立校”灘”に”高校”から入学して、卒業。

  ・鉄緑会などの高偏差値予備校で上位に在籍していた

  ・女子なら桜蔭高校一択、男子なら筑大駒場高校、灘高校、開成高校出身者(麻布のOBさん、私ではなく小林哲夫さんの”私見”です) にかぎる。

 

  と、ここまで、書けばお解りかとおもいますが、「大学入試時に高偏差値だっだひと」、さらにいえば、いわゆる「受験”秀才”」というひとたちが、「神童」なんですね。

  すべての項目が「・・・・・・」なのですが、とりわけ「高偏差値予備校」にかんしては・・・・もし、「受験秀才」ではない「受験”天才”」なら予備校に通わなくても、理Ⅲや、文系なら文Ⅰに合格できちゃうことと、多いです。そういう子は、お受験専門私立高校じゃなくて県立や都立高校からでも理Ⅲに行って医師になり、貧困国や疫病蔓延地域で、ひたすら予防接種したりしています(高校時代、隣の席だった生田斗真似のラグビー部男子がそうです。医師さんと呪医さん、つまりウィッチドクターが共存共栄し、言葉をおぼえるまでは、スワヒリ語で会話したそうです)。

 

  あと、これはミステリー愛好家としての偏った見方ですが、東大卒のミステリー作家さんを思いつかないです。京大出身の作家さんは、わさわさいらっしゃるし、ミス研が元気な立教大出身の作家さんもかなり、いらっしゃるんですが(なんといっても、立教は若竹七海さんの母校です)。

 

 「天才」および「神童」に欠かせないのは、私が思うに「真の頭の良さ」の指標としての「思考力」。つまり、「ゼロから、考える力」です。ちまたで言われる「地頭の良さ」は「応用力のよさ」「情報検索力の速さ」「即、記憶する力の高さ」「累積している情報量の多さ」「理解力の速さ」である場合が、ほとんど。これ、すべて「コンピュータ」の性能をはかる指標そのものなんですね。

  人間にできて、コンピュータには現在でもできないこと、それは「ただ考える」こと。そのものです。

これは「情報を走査して結論する」ことではないことに。要注意です。

  あと「ゼロから発想する」こと。これも「天才」的な力。発想力というものが、いかに貴重な天賦の才能か、ご理解いただきたいと思います。

  そして「ゼロから創りだす」こと。創造力は、まさに貴重な「天才」の力。

 

  さらに、ひごろ感じるのが「学習困難児」としてあつかわれ「学習障害者」として成長した人たちの中に、この種の「天才性」が隠されているという事実。

 

  障害者だけではありません。「暗記」つまり「情報の蓄積量」、真の「考える力」ではない「検索・演算処理能力」を重視する今の大学というものは、「ほんとうの天才」を「ふるい落としてしまっている」場合もある、いや、多いというのが真実ではないかと、案じます。

 

 本書をお読みになったあと、小林泰三さんの近未来ミステリー「失われた過去と未来の犯罪」をぜひ、お読みいただきたいと思います。

https://hama-sush-jp.pro/eseseve10/entry-12409839458.html

 

 また「神童大人は大人になってどうなるのか」に関して、私とは別の切り口で批判されているアマゾンのレビューをご紹介いたします。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2H7A5PWY7XWV7/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4778315871

 こうして他の方のレビューを拝読するにつけ、自分が作品に書かれた間違った知識をずいぶん、そのまま信じているケース、多々だなあ、と。

 

 なお小林哲夫さんの「天才性の目安」として、200ページの本を1日で読めること、が上がっているのですが、これってつまり、筒井康隆さんの「ロートレック荘事件」や、泡坂妻夫さんの「しあわせの書」、桜庭一樹さんの「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」、乙一さんの「夏と花火と私の死体」または「失踪HOLIDAY」、村山由佳さんの「もう一度デジャヴ」が1日で読めれば、楽々、クリア可能レベルです。「1時間」ではありません。「1日」ですよ。「自分が天才だなんて知らなかった」とおっしゃる方、いらっしゃるのでは。

  なお、同僚の軽度の知的障害者と認定された女の子、1年間に「書籍」だけで、700冊読んじゃうので、ほとんど文庫本とコミックを買うために働いている、という状態。どんどん、貸してくれますが・・・・・追いつけない・・・・・・