空地大乃さんの「レベル0で最強合気道家いざ異世界へ参る!」(TOブックス)

 

  神薙流、高齢の合気道家、御年80歳を超え、子どもたちはとっくの昔に職を得て独立。少年時代に劇的な出会いをした最愛の妻に先立たれて、今は広壮な和風の屋敷で一人暮らし。数々の栄光に輝く過去を持ち、悠々自適の生活・・・・・・のはずなのに言い知れぬ”虚しさ”に取り付かれた老後です。

  そんなある日、屋敷の広い日本庭園に”奇妙な気”が漂うのを、合気で察知した流。気を辿っていった彼は時空の門を発見、近年まれな高揚感をおぼえ、門の中に身を投じます。

  すると、目の前に広がるのは、日本とも、どんな外国ともちがう景観。合気道の達人である流は、ここが異世界であることを瞬時に悟り、その現状を受け入れます。おりしも、ほど遠からぬところから殺気と闘気が立ちのぼっているようす。駆けつけると、ゴブリンたちに囲まれて必死で応戦する少女がひとり。武器らしきものは、鉱物製の柄の先端に水晶の珠が埋め込まれた杖のみ。流は、神薙流合気道の奥義 ”空蝉・乱”を使い、ゴブリンたちを同士討ちさせ、少女を救います。さらに、少女に杖を武器として、ゴブリンたちを殲滅させる方法を伝授。助けた少女の名は、ピーチ・ザ・ファンタスキー、15歳。見た目そのまんまの旅の魔術師。彼女を子ども扱いしていた流は、指摘されて彼自身、16歳当時の美少年に若返っていることにきづかされます。

  その後、近くにいたゴブリンたちのボス、グレイトゴブリンをも、神薙流合気道の奥義 ”地流天突”で撃破。ピーチに案内されてレイオン伯が統治するハンマの街の冒険者ギルドに向かいます。

  ギルドでゴブリンたちとグレイトゴブリン掃討の破格報酬を受け取り、冒険者登録する流。しかし・・・・・これほどの強さにもかかわらず、認定されたステータスは、レベル0、D級冒険者という低さ。なぜ、こんなに査定が低いのか? 驚愕するピーチに対し、涼しい顔の流。

  釈然としないようすのピーチに、エルフ美女エルミールが店長をしている薬屋に案内してもらった流はポーション一式を買い揃え、さらに元女性冒険者メルルが営む魔道具店で準備を整えたのち、ギルドへ。初めて請け負った”依頼”の主は、木こりの奥さん。山林で仕事中の夫にお弁当を届けてくれという簡単そのものの内容だったのですが・・・・・・

 

 

 TOブックスが版元ということから明らかなのですが、無名作家さんのライトノベル、それも石石玉混交な「なろう」発の作品です。以前、やはり「なろう」系の「悪魔のような公爵一家」に関して苦言を呈したところ、あまりラノベを読んでいらっしゃらないと思われる読者さんから、「わざわざ、なろう作品を読んでネチネチ文句をつけている」との、ご指摘ご批判をいただきましたが(反論させていただいたのですが、お返事は頂けていないので後味が悪い一件となりました)、私は批判するためにわざわざ「なろう」作品を読んでいるわけではなく、日頃の読書習慣の一環として「なろう」も多々読んでいます。「異世界食堂」のように高クオリティで面白い作品はきちんと評価した上でおススメしており、今後もそうするつもりです。ただ「なろう」で傑作を書いていらっしゃる作者さんには、「連載完結。ファンの評価をチェックしたら、満足して”作品削除”」なさる、真性趣味作家さんも少なくないので、書籍化されていない作品は、泣く泣く見送ります。その一方で、批判箇所しかない、という作品も見送る方針に転換するつもりだったのですが、これは本当に”商品”として流通させてよいのかという作品も見受けられる状況。とりたてて魅力も実力もない主人公が、異セカイでモテモテ、ハーレム状態、女の子たちはみなウブなのに主人公に対してのみ積極的、かつ逆上がりもできないくらい運動神経のない主人公が、いきなり無双・・・・・この程度の作品なら、笑って忘れちゃいますが・・・・・・

  明らかな「事実誤認」に関してはどうなんでしょう。

 

 空地大乃さんの、この「レベル0の最強合気道家~」を読んだのは、主人公が合気道家という設定が気になったため。小説やライトノベルの中で、合気道がどういう扱いをされているかということは、非常に気にかかります。

  私自身、6歳になったときから、養神館系の合気道の道場に通いつめてきて、今でも稽古を続けているからです。(東京の武蔵小金井駅から徒歩15分北に行ったところに、養神館の道場があり、?拾年、お世話になってきました。はたして、浦和で道場が見つかるかどうか、目下の懸案です)

  一応、段位はもってますが、3~5年、稽古を続ければ、たいてい、黒帯をとれるので、まだまだ「合気道家」ましてや「武道家」を名乗れるほどではありません。

 

  そんな低レベルの愛好者からみても、折にふれて感じられるのは「合気道は誤解されがちな武道だ」ということ。

  たとえば、よく言われる「痴漢におそわれた女の子が痴漢男を投げ飛ばすことができる」・・・・・これは真実。ただし、襲われる前に投げ飛ばすことはできません。あと投げ飛ばして「時間をつくったら」、あとは、一刻も早く逃げ出すのみ。とどめをさす、なんて無理です。

  「合気道をやると、ケンカが強くなる」・・・・・これこそ大嘘の極致。実は、「試合」がないことからもわかるように、合気道の目的は「敵に勝つ」ことではありません。「相手を投げる」のは愚策なんです。そこに至るまで、危険を回避できなかったということを意味するので。できれば直接対決になる前に「優雅に逃げる」ことができれば遥かに良いし、もっと上策といえるのは「そもそも危険な相手に接触する前に回避する」ということ。

  もし、ケンカに強くなりたいなら、空手を、それもほぼ禁じ手なしの極真会系を習うのが一番、現実的だと思います。

  ただ、何によらず出来れば幼少期から「武道」をならっていると、自然に肝がすわり、ふだん泰然自若あるいは温厚であっても、ここぞというときの「目力」がハンパなくなるので、「ほんとうにケンカ慣れしているヤツら」は無意味にけがをすることを嫌がって、離れていってくれることが多く、その点では合気道も効果がある、ということもできるのですが。

 

  まあ、誤解されがちな合気道ですが、この「レベル0で最強合気道家~」は、まさに「誤った知識」を啓蒙するがために書かれた、といっても過言ではない作品。

 

  まず「最強合気道家」。

  合気道に「強い弱い」はない。

  なら、どうやって昇級・昇段を?といいますと、ひたすら師範たちの面前で「技」を披露、「ここまで技ができちゃいます」ということを認めていただいて、段位などを授かります。

 

  そもそも「試合」すらないので、「道場破り」なんて存在する余地すらない。

  仮に、「合気道で試合」することを想像してみると、ただただただ「マヌケ」な展開になることが明らか。いえ、合気道VS合気道では「勝負が始まらない」ので、「展開」にさえなりません。始まりさえしないわけで。

  ひたすら、向き合って立ったまま、時計の針だけが進んでいく・・・・・

 なぜなら、合気道の基本は(もちろん”逃げる””回避する”のが至高なので、まかり間違って戦いになってしまったら、の場合です)「相手の攻撃力を相手に返す」ということです。つまり相手から仕掛けてくれないと何もできない、そして相手も合気道家だと「どちらからも攻撃できない」、想像するだけで、なんと言いますか、徒労とさえいえない状態です。

 

  「合気道家であるため、主人公は一を聞いて千を知る、なのでIT系はメールもプログラミングもオールマイティ、異世界に行っても、会話の断片を聞いただけでゴブリン語をマスターできるだけでなく、その世界の全種族の言語を習得」

 これぞ、トンデモ。「知識」と「体術の力」に、たぶん関係はない。もし、こんな設定がまかり通っていたら、だれも「小学校お受験」などしないし、学校にも行かず、ただ合気道に邁進して大学受験で一発勝負するでしょう。英会話教室は軒並み倒産、通訳さんたち、翻訳家さんたちは失業、さらに日本にいてもクリスチアナ・ブランドの埋もれた名作やドロシー・セイヤーズの未翻訳作品が読めるし、有栖川有栖さん、貴志祐介さん、殊能将之さん、北森鴻さんが海外で評判になり、「人狼城の殺人」や「塗仏の宴」を読んだアメリカ人のみなさんが「オーマイガァ!」と「ギブアップ」するでしょう。

  ちなみに、超高速タッチタイピングができるのに、エクセルのまっさらな画面を見て硬直する合気道の黒帯さんなんて、ざらにいます。とくに近ごろのお年寄りの方々のタイピングの速さには、思わず見入ってしまいます。入力スピードに、グラフィックボードの表示能力が追い付いていない!

  あと「メール」と「プログラミング」を同じ俎上にあげて平気、という点で作者さんの「武道の知識」のみならず、コンピュータの最低限知識も疑ってしまいます。

 

  地球に落下する前の彗星の軌道を変える・・・・・「直接、接触しなければ何もできない合気道」の法則は覆せません。もし彗星に直接、接触したら? 80代まで生き続けることはできなかったでしょう。

 

  テロリストのアジトに潜入しジェノサイド大成功・・・・・テロリストが3人以下なら、なんとか全員、気絶させることくらいなら、運がよければ可能かも。でも、ひとたび「合気道精神」にそまると、たぶん人を殺すことなんて出来なくなります。あと合気道のメチャ弱点・・・・・対多数に弱い、背後から攻撃されると完全、無力。これだけで「ケンカに向かない」ことはご理解いただけるか、と。

 

  まだまだ「合気道への冒涜描写」は目白押しなのですが、このあたりで切り上げます。

  「冒涜描写」と敢えて記しました。

  たぶん、何年か実際に合気道に打ち込んだ経験者がこの作品を読むと「呆れる」を通り越して、もはや「腹立たしい」としか言えない気分になると思います。わたしだけではなく、武道を愛する人たちは、少なからず気分を害するでしょう。

  今野敏さんも昔「拳もの」というべき武闘小説を書いておられますが、今野さんご自身、体術に関しては全くの素人さんではなく一応の経験をお持ちです。しかも、その上で、さらに取材を重ねて執筆されています。

  比べて、合気道を「キワモノ」扱いしているも同然の「レベル0で最強合気道家~」は、はっきり言って不愉快ですし、誤解されがちな合気道に関する誤解を助長するかのような描写の連続であるという事実は、できるだけ多くの方々に知っていただきたいです。

 

  だいたい、なぜ主人公が「合気道家」でなければならないのか、必然性さえないという点が、怒りの根底にあります。

 

  可能ならば「合気道」ではなく、かといって実戦向きで「強くなれる」空手でもなく、全く「架空の武術」の達人という設定で、全編、書き直していただきたいくらいです。

 

  取材をしてないどころか、「ナマカジリの知識」さえないことを素材として扱う、または「知ったかぶり」で誤記することのぜひを、作者とよばれる方々は熟考していただきたいと切実に思います。

 

  長くなりましたが、最後に合気道の素晴らしさについて書かせていただきたいと思います。

  合気道の根本精神は 「ものごとを”勝ち負け”で判断してはならない」のひとことに尽きます。人間関係はもちろん「生きていること」や「人生」を思う時、「勝ち」と「負け」という基準を持ち込むことは、人を焦らせ、結果として不幸にしてしまいがちです。

  すべてのことに「勝ち負け」という基準を持ちこまないようにすると、「あの人と比べてわたしは不幸だ」「あの人と比べてわたしは仕事ができない」などの「負の感情」から解放されます。

  「あの人はこうだ。そしてわたしは、こうだ」というフラットな気持ちで周囲をみまわすと、自分をとりまくもの全てが光り輝いて見えます。

  合気道は特に幼少期、とりわけ小学校入学時に習い始めるひとが多いのですが、「肯定感」が養われていること、とりわけ高い「自己肯定力」を持っているということは、「心の免疫力」をも高めてくれ、特に自分を取り巻く人たちを認めて受け入れやすくする効果があります。あと「考えても解決しないことは考えない」それが、呼吸をするように自然にできるようになります。

 

  敬愛させていただいているブロ友さんに、デンパ的な意味ではなく、「宇宙さんの采配」に日々感謝し、いつも前向きで、しかも安定したメンタルをお持ちの関西在住、女性、ミステリすきなブロ友さんがいらっしゃり、賛嘆させていただくばかりなのですが、合気道の中にも、根強い「自分をふくむ万物」に対する「感謝」の気持ちがあります。「自分をふくむ」です。「きょうも生きることができた私へ、ありがとう」という肯定感、と言えばよいのでしょうか。

 

  あと、女性向けの効果ですが、つねに「本当の腹式呼吸」をしている状態になるので、その結果、「お産がめちゃくちゃ軽くなる」傾向があるようです。

  わたしは、理由があって、娘をひとり生めただけですが、陣痛が始まって5時間、産室にはいって15分で生まれるという楽なお産でした。まあ、看護師さんたち、女医さんのことばが「ほんとうに産室にはいるのが間に合ってよかったね~」で、みなさんの微笑もなんとなく、ひきつっていましたが。

 

 かく言うわたしですが、娘は・・・・・・合気道ではなく、弓道を選んじゃった、というオチがございます。