紅玉いづきさんの「現代詩人探偵」(ミステリ・フロンティア→創元推理文庫)

 

  2004年、とある地方の小都市のファミレスに集まったのは、互いに顔を見たことさえない9人の男女。彼らはSNS、mixiの現代詩作のコミュニティpoetringのメンバーたち。その集まりは初めてのオフ会です。プロの詩人、櫻木遊侠が臨席したことにより、盛り上がる詩人のタマゴたち。”ぼく”こと”探偵くん”はメンバー最年少の15歳。自分が将来、プロの”詩人”として身を立てていく、という希望を当然のこととして受け止めている男子中学生でした。探偵くんという愛称は、その時、持ち寄った次作の詩のタイトルから。探偵くんのハンドルネームは”蒼ざめた馬”。「クリスティでも、ロープシンからでもなく、萩原朔太郎にちなんで名付けた」とプロフィール欄で公表しています。当時の彼は、まさか10年後の探偵くんがほんとうに探偵役を引き受けることになろうとは、予想だにしていません。終始、明るい雰囲気のオフ会は大成功。歓談をリードした男性、近藤奇人の提案により、10年後、この場所で2回目のオフ会を開くことを約束して、みなは帰路につきます。

  それから10年。探偵くんは、25歳。職業詩人として成功するどころか、就職活動に惨敗し、コンビニの深夜バイトを希望もなく続ける日々。購読している現代詩の雑誌の新人投稿コーナーに自分の詩が掲載されていないことを確認しては、「つまらない雑誌」だと軽蔑するのが行事のようになっています。5月の末に、10年まえの約束の日が迫っていることを思い出した探偵くん。その日、バイトのシフトは入っていません。

  探偵くんが向うと「約束の店」は、ガストになっていました。感動を込めて声をかけてきた女性は、紅一点のビオコさん。その感動には深い意味がありました。探偵くんは、5人目の、そして最後の参加者だったのです。不参加の4人は、この10年間に不審死を遂げていたのでした。メンバーたちは「探偵くんも死んでしまったのでは」と心配し始めていたのです。10年前に希望に満ちて「詩作」について語りあった仲間たち。みな、その未来は輝けるものと疑いもしませんでした。

  学校教師であることを明かした近藤奇人が強固に反対する中で、4人の仲間たちの死の真相を知りたいと望むビオコ。そして、無頼でかつ世俗的な雰囲気をまとった舵ヨウスケ。ふたりは「仲間たちの死の真実」、なぜ・ホワイダニットどのように・ハウダニット、死は彼らを訪れたのか、その探求を探偵くんに任せたいと希望しているようです。探偵くんもまた、真相を知りたいというのが本心。しかし、イベント会社を経営し、充実した私生活を思わせ、詩作に熱心ではない皮肉屋・舵と、仲間たちを亡くした悲しみに沈んでいるかのような熱情家・ビオコ。ふたりの要求に従ってよいのか。

  しかし「若い人たちの夭折が悲しい」とありふれた弔辞を述べながら、4人の死に共通する「拒否しがたい悪魔」の存在にふれた櫻木の言葉に、探偵くんは心を決めます。ほんとうの「探偵」を務めよう、と。

 同行、協力したいというビオコの申し出を断り、探偵くんは、自殺によって死んだことが明白とされているオギヤの遺族を訪ねるのですが・・・・・・遺族との話の中で対話の中で、現実味をおびる「悪魔」の姿。オギヤの前に顕現したそれは、他の3人をも死に誘ったのか。

 

 

 

 これは、かの戸川安亘さんから直接に頼みこまれた紅玉いづきさんが、東京創元社のミステリー叢書としてのステイタスを誇るミステリ・フロンティアのために書き下した「推理小説」です。そして、そのステイタスにふさわしい傑作です。

  しかし、この作品をすべての人に「安心して」おススメしてよいか。

  否、です。

  即答、断言します。

  なぜなら。あらすじで触れた「悪魔」。悪魔という用語は、実は作中では使われていません。もっと、明確に表記されています。

  「希死念慮」と。

  これは「希死念慮」に憑りつかれた人たちの「死」と「詩」のあいだに横たわる謎を解いていく物語。描かれている希死念慮は読者から見ると「悪魔」そのものなのですが、実際の死者の何人かにとっては「甘美な夢」に見えていました。

  なので、実際にこの心理に近いところに心を住まわせている方々、そうではなくても、抑うつ症状やウツ病、統合失調症と闘っている方々には、安全をお約束できないのです。

  真相にすこしだけ触れると、もっと怖い真の「悪魔」の正体は、またべつの存在であり、だからこそ「ホワイダニット」が重要な謎として浮き彫りにされていくのですが。

  しかし、古今東西、「死」そのものに、ここまで迫った作品、にも関わらず、教条的でも哲学的でもなく、「論理のエンタメ」として秀逸であり、退屈さを感じさせないミステリーは唯一無二であろうと思います。そしてまた、今後も書かれることはにでしょう。

 

  その上、特筆すべきは、「芸術家の死との闘い」というテーマが、最終的に、実に卑俗きわまりない「悪」によって、くつがえされてしまうこと。「闘い」だったはずのものが、卑劣に操られた「ゲーム」であったというおおきな仕掛け(大丈夫、まだ、ネタバレはしていない、と思います)。

 

  そう、あえていうなら、あのジャンルのミステリーとして画期的な作品なのです。書きつくされた感いっぱい、じっさいに凡百の作品のゴミで掃き溜め状態のこのジャンルに、このようなアプローチ方法が残されていたとは。似ていると、かろうじて言えるのは岡嶋二人さんの、あの名作なのですが。本作の「真犯人」はもっと、自覚的、意図的であり、暗い敵意と悪意を持った邪悪な存在です。

 

  読み始めは、少なからぬ人々が戸惑うだろうと思うのは、紅玉いづきさんの文体。流麗とは真逆。意図的に読点で分断された短いセンテンスが連なります。そして、思わぬところで読者の思考を乱すかのように、挿入される句点。けっして、美文とは言えない文章です。

  これは、紅玉さん独特の文体とも言えるもので、一巻完結の秀作ライトノベル 「ミミズクと夜の王」(電撃文庫)も、前半の「森パート」はこの文体で書かれています。それが後半の「宮廷パート」では、上橋菜穂子さんを思わせる文体に一変(荻原規子さんのような、軽さはないです)。異界である森と、そうではない街と王宮が、同国語を話していながら、「言語」を共有しておらず、宮廷人たちの「死」と、ヒロインである「ミミズク」つまり奴隷という身分からも弾かれた少女の「死」が根本的に異なるものであるという真実を際立たせています。

  異なる文体で語る者どうしは、バベルの住民のごとく「理解を共有」することができないのです。「ミミズクと夜の王」は電撃大賞の受賞作ですが、このような作品を手に取った編集さん、下読みさん、最終選考委員さん、みなさんさぞ、びっくりなさったのではないかと、お察しいたします。

https://bookmeter.com/books/8114487

 

 では「現代詩人探偵」における「バベルの住人」は、詩人たちの中で、いったい誰なのでしょうか。

 

 誰が詩人たちを殺し、詩の命を土足で踏みにじったのか。

 真の探偵は誰なのか。

 ただ、推理しながら読むとおもしろくないとも思います。いみじくも「あとがき」で紅玉いづきさんご自身が述べていらっしゃるように、ミステリーの楽しみは、さまざま。推理し謎をとく楽しみ。しかし、より大きいのは”騙される楽しみ”ではないかと思います。

 

 ところで、タイトルのみを見たとき、つい先入観で考えてしまったのが、昨今ブームの「異業種探偵もの」、つまり、「文章表記上だけの形だけ)バリスタや書店員やカフェのウェイターや料理教室の先生が、同じパターンで「日常の謎」をなんとなく謎ではなくしてしまうという作品にすぎないんじゃないかと誤解してしまったのです。作者の紅玉いづきさんに対してたいへん失礼であったと反省しております。

 

  紅玉いづきさんは、非常に寡作な作家さんです。おそらく貴志祐介さんに匹敵すると思います。あるいは、「わが師はサタン」が超絶印象的だった鷹見緋沙子さんに匹敵する、といいたいところですが、緋沙子さまの正体は実は「○○さんと〇〇さんと○○さんの性転換ユニット」。 3人の「おっさん」。公開された、東京女子大卒などの経歴は、大ウソ。だったとは! すっかり、だまされました。悔しいこと、この上ないです。

  そして、寡作なはずの紅玉いづきさんのファンタジーをビーンズ文庫やコバルト文庫で大量発掘した!なんて喜んだりしたら、それは100%、瑞山いつきさんと混同しています。何を隠そう、そのパターンでコバルト文庫の「黒と白のバイレ」の全巻セットをアマゾンで購入、冒頭部分ですでに怒涛の違和感で圧死しかけたのは、この私です。瑞山さんのファンのみなさまには申し訳ないですが。しかし、コバルト文庫で「輝く才能」を見せて下さった作家さんは須賀しのぶさんが最後、ぎりぎり甘く評価しても青木佑子さんまで、だと思っています。

 

  貴志祐介さん、原寮さんが寡作である必然性は作品を一読すれば納得ですが、紅玉いつきさんが寡作であることも、「ミミズクと夜の王」「Mama」などラノベ作品、そしてこの「現代詩人探偵」を読めば納得せざるをえないでしょう。これほど高密度で緻密な作品を書くのは精神を削るようなもの。3か月に一度などというペースで書けるとは思えません。

  ほかの例ですが、近年、鮎川哲也賞またはミステリーズ新人賞を受賞した東京創元社系の、月原渉さん、深緑野分さん、井上真偽さん、市川憂人さん、そして2017年土壇場デビューの今村昌弘さん、みなさん寡作傾向です。その分、粒よりの秀作がそろっていますが、寡作な作家さんに対して出版社からの原稿依頼が減る危険性もある、というのは数年前までは実状でした。そのあたりが改善されていくように、と望んでいます。

 

  さて、「現代詩人探偵」の突っ込みどころ、ひとつだけ見つかっちゃいました。43ページ。「ハンバーグから流れる肉汁」。残念ながら、2015年以降、ガストで「流れるほど肉汁のあるハンバーグ」を食べた、という記憶がないんです・・・・・

 

 それにしても、戸川安宣さん、直々の執筆依頼による、異ジャンルからの参入。これだけで、すごいです、紅玉いづきさん。

  市川憂人さんや今村昌弘さんのように1年1冊のペースでもよいから、ミステリーを書き続けてほしいと思うのですが・・・・・戸川さんとのお話では、そういうお約束ではないようですね。

  ものすごく、残念です。

 

 あとひとつ。

 各章の冒頭の詩。亡くなった詩人が書いたという設定ですが、もちろん実際に詩作なさったのは、紅玉いづきさん。

 この詩が、バラエティに富んでおり、思わず引き込まれます。あ、でも、それって、ヤバイのか。特に、第1章のオギヤさん(小木屋さん)の作品あたりは、”あんたっちゃぶる”感が、ひしひしと迫ってきます。特に、最後の二行はメンタルに自信あり、「私の心臓には毛がはえている」人でないと、きつい。第4章、終章の詩もヤバイ。特に、終章の、この詩人さんの詩はネタバレに等しいので要注意です。

 ただ第2章の遠野昼夜さんの詩、第3章の夏炭さんの詩は美しい。夏炭さんの詩は美しく・・・・・・そして悲しい。

 

 遠野さんの美しい詩を継承するであろう星子ちゃん。

 小学生だけど「星子さん」とよぶべき、小さく、美しく、勇ましいヒロイン、否・・・・・女神。