奥田英朗さんの「純平、考え直せ」(光文社文庫)

 

  坂本純平。21歳。部屋住みの身ではあるものの、関東では有数の勢力を誇る六明会傘下の早田組組長から二年前に杯をもらった、れっきとしたヤクザです。根城は新宿歌舞伎町。この街で、純平は、大の人気者。歌舞伎町の裏通りを歩けば、ほぼ30メートルおきに声をかけられます。なにしろ、純平、若い上に、すらりと垢抜けていて、これまためっぽう顔がいい。女なら9割以上が、いくらか怖がりながらも、振り返るタイプ。性格も明るくまっすぐで、いわゆる気のいい若者です。ただ 「もてる」というより、「人気者」。なにしろ、お金がないし、自由な時間もないので、歌舞伎町のような街の女たちからもてるのは無理。ただ、みんなに好かれ、ペットのように可愛がられています。

  純平がこの道に入ったきっかけは、兄貴分の北島との出会い。ある日、不良同志のケンカを北島に鮮やかに仲裁してもらった純平は、北島のカッコよさ、いかにも現代的ヤクザっぽい知的なところ、高級品を身につけてサマになる風格に惚れこみ、追っかけをしまくって弟分として早田組に入れてもらったのでした。

 ところがある日、北島をとばして、親分から直々の呼び出しが。用件は、対立する東雲会の幹部、矢沢を射殺する、いわゆる「鉄砲玉」になってくれないかとのこと。もちろん10年ほどの刑務所行き前提です。ついに来たかと思う純平。「鉄砲玉」と「懲役」は下っ端ヤクザにとっては、手っ取り早く名を挙げるチャンス。純平は北島に相談することなど考えもせずに親分の頼みを引き受け、軍資金+前払い謝礼金+服役見舞金として、ピン札ぞろいの30万円をもらいます。暗殺予定日まで4日間。怪しげな模造銃を闇で買ったのち、純平は残りの日々を豪遊しようと決めます。

 そんな最初の晩、行きつけの焼肉屋で知り合ったのは、キャバ嬢も真っ青のギャル道邁進中のド派手派遣OL加奈。ところが、純平の決意を知ってマジで心配してしまった加奈。ケイタイの掲示板に「若いイケメンヤクザ、鉄砲玉と懲役10年を決心、その名は純平くん」の成り行きを書き込んでしまったのでした。深夜というより早朝にも関わらず、たちまちスレッドに殺到し、ネットは「純平まつり」。たくさんの人たちが純平を説得にかかります、「純平、考え直せ」。

  はたして、純平は考え直すのか。

 

 

  はでではないけれど根強く微妙な人気と支持に支えられ、重版を重ね続けている秀作です。

  他のどんな作品にも似ていません。作者、奥田英朗さんの著作群にも、類似の作品は・・・・・・たぶん、ない。「ユーモア」系とはいっても、「空中ブランコ」などの、ふしぎちゃん精神科医・伊良部シリーズとは、まったく異なる読み味。あざとく「笑い」を取りにきている伊良部シリーズを読んでイラついたという人(わたしは、正直イラつきました。それも、かなり大きく)、そんな人たちにこそ読んで欲しい作品です。

 「真夜中のマーチ」「サウスバウンド」がイマイチだった人(わたしは果てしなくイマイチでした)も、この作品は「ついつい」読み進んでしまうのでは、と。

 

  しいて言えば、短編集「我が家」シリーズ3作に近い「笑い」。かたや、サラリーマン家庭、かたや、歌舞伎町ヤクザと、物語世界は全くちがうのですが。

 

  3日間の猶予期間、組の雑用一切から解放され、自由に歌舞伎町に繰り出す純平に襲いかかる「出会い」の嵐。そのいわば第一歩が、ブラック通販勤務のギャルOL加奈だったわけですが、行きずりの男女の関係だったのに、加奈もモブキャラ感ハンパなかったのに、なに? この大騒ぎ。

  ケイタイ掲示板といっても、PCにかじりついてカキコしている人も多いのでは、と思われる内容なのですが、このスレッドの書き込みは、くれぐれも読み飛ばさないでいただきたいです。IDもきちんと識別の上、ネットの論争と「まつり」の経過を追ってみて下さい。単行本がでたのは、スマホ未登場時代。スマホ時代になってラインが広まったせいなのか、ガラケー時代の方が掲示板などでの意見交換はオープンで活気があったように思えます。「電車男」の物語にしても、PC主導とはいえ、2ちゃんねるだからこそ、成立したお話。ラインで同じ社会現象、「陽気な集団心理ヒステリー」を起こすことがはたして、可能かどうかは疑問です。

 

 「考え直せ」大パワーの盛り上がりと並行して描かれるのが、「3日間ビルドゥングスストーリー」。

 純平、よくもまあ、こんなに多くの初対面の人と出会ったなあと。

 一番印象的なのは、無銭飲食と「たかり」の常習犯「爺い」こと「元早稲田大学教授」ではないでしょうか。本名は結局、不明です。役に立ちそうな、否、実は無用の長広舌、薀蓄っぽい話や寓意的な話(説教くさい、ではない)の数々を垂れ流すこと、立て板に水というか、穴のあいた砂袋状態です。思わず聞いちゃう純平も読者も、おバカこの上ないです。

 この爺さんが誘拐されて、助けにいく純平(途中まで爺さんの存在そのものを忘れてはいましたが)、やっぱり「いい男」というか、「いいヤツ」です。そして助けに行ってみれば・・・・・やっぱり、というか、誘拐犯たちもみごとに、おバカなのでした。

 

  いいヤツらがたくさん登場しますが、ほぼ全員、おバカです。やっぱり、バカミスといいバカSFといい、おバカは世界を救うんだという確信が読むうちに、どんどん強まっていくんですが・・・・・・ラストは「おバカカルチャー」「おバカスタイル」「おバカライフ」をこの上なく愛するおバカファンやおバカにとっては・・・・・どんなおバカにも「思考」を迫ってくるという一種コワいラスト。私は、おバカ大好きなのですが、ちょっと考えちゃいました。

 

 ただ、ラストまでは、何も考えずに読みふけるのが得策。「事件」の真相やら黒幕やらがバレバレに暴露されていくんですが、ささいなことです。ことの真相がわかった、と思ったら忘れた、でも作品を楽しむためには、ノープロブレム。

 ただし、覚えていた上で「正しく深読み」すれば、実は深~い小説であり、おバカに笑って済ませていいのかと考えこまざるをえない作品でもあります。純平くんのやろうとしていることに、いったいどんな意味があるの? 加奈は、実は本能的にとても賢いコ。

 

 そして・・・・・・純平が憧れる小歌劇ホールの花形ダンサー、カオリ。いったい、どこまでいい女なの。出番もセリフも少ないのに美女オーラがすごい。

 でも、やっぱりヒロインは加奈なのかなあ。ついでに、みたいな感想になってしまいましたが、加奈のマブダチ里沙もいい感じ。

 

 大作でもないのに、図書館で借りるのではなく、自腹で買って、枕元においておきたい一冊。

 

 こういう「良作」を読んじゃうと、ますます考えてしまいます。近年の流行のひとつだった(過去形にします)「ほっこり」とは、はたして何だったのか、と。