北川恵海さんの「ちょっと今から仕事やめてくる」(メディアワークス文庫)

 

 ”俺”こと青山隆。たぶん、23歳。有名私大を出るものの、就活は思うに任せず、本命の総合商社、四葉物産など”超一流企業”への就職にことごとく失敗。それでも中堅の印刷会社への就職が決まります。この会社で実績をあげ、新卒選考で自分を落とした一流企業の数々を見返してやろうと意気込む隆。しかし、そんな”やる気”は入社半年にして擦り減ってしまいます。

  ある夜、帰宅中、電車にを待っていると、上司である部長からケイタイに着信が。思わずケイタイの電源を切った隆の心の何かが”切れ”、彼は、半ば無意識のうちに、電車が近づいてくる線路へと誘われます。まさに飛び込もうとした寸前、ヤマモトという同年輩の青年の手が隆の腕をつかみ、隆を飛び込み自殺から救ったのでした。ヤマモトは、憂さ晴らしになるならと、隆を呑みに誘います。ふたりは安っぽいけれど抜群に魚料理が美味い、ヤマモトの行きつけの居酒屋へなだれこみ、絶品のホッケをつつきながら意気投合。

 本名ヤマモトジュンという青年とたびたび会ううちに、生活を立て直し、仕事上でも有名老舗製菓会社との契約を結ぶまであと一歩というところまで漕ぎつけるのですが・・・・・

 ある日、隆は「みぃ」というブロガーの書いたブログで、”山本純”への哀悼記事を目にします。驚いた隆は、過去のニュースを検索。そして判明したのは、山本純という青年が3年も前に、ウツ病のために自殺していたという事実。添えられていた写真は、まさにヤマモトのものだったのでした・・・・・・

 

 

 北川恵海さんのデビュー作にして、累計60万部を売り上げたという、ヒット作。隆=工藤亜須加さん、ヤマモト=福士蒼汰さんで映画化もされました。

 新人作家さんのデビュー作としては良く書かれた作品だと思います。一読、平易、実は達者な文章はきわめて読みやすく、すんなりと作品世界に入りこめます。「奥田英朗さんラノベバージョン」みたいな。「ヤマモトはなにもの?」というミステリー要素と他の部分のバランスも絶妙。不可解要素を小出しにしてくる、など練達したプロット。現実的な世界観なので、「幽霊説」はハナから埒外なのですが、「一人称”俺”視点」ということには、ちゃんと意味があります。

  アマゾンでのレビューは総計4つ星。レビュワーが280余名であることを考えると、これはすごいことです。5つ星レビューが8割を超えています。

  ここで・・・・・ん? 5つ星8割なのに、総計4つ星?と疑問に思った方。

  鋭いです。

  実は5つ星レビューのほとんどが「ベストセラーなので読んでみたら良かった」という、レビューとも呼べない「3行コメント」。内容に深く触れているレビューのほとんどが、ひとつ星、良くても、ふたつ星という辛口レビューオンパレード。

 

  まず、隆が入社したブラック企業。土曜出勤があり、会社を退勤できるのは、毎日、夜の9時15分ごろ、という設定。もちろん、この状況が良いというつもりは毛頭ありませんが。デフォルトで週休1日制の会社も存在する現代社会。隔週土曜日休みならマシという実情があります。夜9時に退勤できれば恩の字。連日、終電に駆け込み乗車という人も少なくないのでは、と。それでも、不況のためにタクシー券をバンバン使わせるほどの気前良さが企業になくなり、結果として終電までに帰れるようになったのです。

  もっと「ブラック」なのはアパレル、フードのチェーンを展開する企業。正社員のほとんどが20代半ばで、店長に。ヒラの時に比べて、労働環境は、一気に劣悪化。「名ばかり店長」の現状は、1~3万円足らずの「役職手当」と引き換えに、「残業代なし」で1日6時間以上のタダ働きを強いられるという過酷さ。削減される一方の非正規店員の労働分まで負担しなければ店舗を回すことができず、店を回せなければ「無能評価」され、もともと高くない賃金がさらに減額、という筋書きが出来上がっているからです。店長なのに年収が300万未満なんて珍しくもありません。某ファーストフードチェーンの店長が、何カ月にもわたって「業務用車内」で寝泊まりし、若くしてクモ膜下出血により突然死したという悲報が報道されて10年もたたないのに、そんな「殺人企業」が存在することは忘れられた過去になっています。

  それなのに、なぜ辞めないのか。「自分が辞めたら、同僚に迷惑をかけるから」「周囲にシワヨセがいくから」という理由の、なんと多いこと。

 もちろん「ブラック=基準」と主張するわけではありません。ただ、「ほんとうにブラックな労働環境」に身をおいている方々からみると、本作はかなり気に障る表現をしているのも事実です。

 

  あと、作者さんは会社員経験がないとのことですが、さもありなんと思わせるのが、入社1年にも満たない新入社員に、未来の大取引先になるであろう会社への営業を完全委任しているという設定。社運さえ掛かっているのに、これはないわぁと。いくつものレビューが突っ込んでいますが、やっぱりここは突っ込みどころす。

  

 「発注ミス陰謀」の犯人は、予想通り「あの人」。イケメン冷遇のラノベ的展開では、そうなることが見え見え。だいたい、個々のパソコンにロックをかけないなんて、セキュリティ的にも大問題。

 

 あと、これも多数の人が指摘していますが、2年間で臨床心理士になるのは「不可能」です。大学で規定の単位を取った上で、さらに2年間大学院で学ばなければなりません。最低6年はかかるのです。「どんな学科でも大学で4年間勉強した

上で」さらに2年間ではないんですよね。「心理学」関連であることは必須条件。

 

 そして一番ゾワゾワするのが「お説教」パート。

 相手の賞賛すべき部分(作中では「「ほめる」と表現)への賞賛は惜しまない。

 自分の話を聞かせる前に、相手が話したいことに耳を傾ける。

 自分が話すばかりではなく、相手にも話を振る。

 etc。

 これって、大半の人が当たり前にやっている対人スキルの基本では? 

 

 そして、このご時世。親しい人や家族が「会社辞めたい」と言ってきたとして・・・・・

 かる~く、「いいんじゃない」と無条件で賛成・・・・・・できる、かな?

 少なくとも私には、そう簡単に即答できません。

 まず、「なぜ? 何かあったの?」と事情を聴いてしまう、と思います。その上で、それに関しては「話したくない」と言われたらその時は、それなりの覚悟を決める、それで目いっぱいです。