マイク・レズニックの「キリンヤガ」(ハヤカワ文庫)

 

  恒星間飛行が可能になり、さまざまな惑星がテラフォーミングされた22世紀。

  部族人口が減り続け、一部は都会に出て西洋化し、残りは保護区で暮らすアフリカ、ケニアのキクユ族。彼らのための楽園としてテラフォーミングされた小惑星、キリンヤガ。キリンヤガとは、キクユ族の唯一無二の創造者ンガイの住まう聖なる山の名まえです。この惑星に移住したキクユ族たちの導き手がコリバという初老の祈祷師。族長のコイナーゲより大きな権力を握っています。

 キリンヤガは新規住民を歓迎する世界でもありました。ただし、移住するためには、キクユ族であることが必須条件。

 ある日、地球からひと組の夫婦が、理想郷を求めて移住してきます。

 夫はンコベ。都会的、現代的な妻はワンダと言いました。ンコベは妻がこの社会になじめるかどうか心配そうですが、ワンダはコリバをはじめとする住民たちに友好的。自分から、ワンダという洋風の名を捨て、ムワンゲというアフリカ風の名まえを名乗ると言いだします。ケニアとその部族について大学で学んだ彼女は、昔ながらのキクユ族の生活を理想として夢見ていたとのこと。彼女が見るキリンヤガは、まさに理想郷。彼女は立派なキクユ族のマナモウキ(女)となりたいと目を輝かせます。キクユ語を自在に操る彼女に、内心が波立つコリバ。彼はアフリカの公用語的なスワヒリ語しか話すことができず、キリンヤガの言葉もスワヒリ語なのでした。

 キクユ族の主婦として、有能ぶりを示すムワンゲ。魅力的な女性としての彼女に惹かれて、若い女たちはたちまち、その周りに集まり、親しくなります。とりわけ、族長コイナーゲの三番目のうら若い美人妻キボは、彼女の親友になりました。

 なにか、気分の悪い思いが深まっていくコリバ。彼は、ムワンゲにさらに厳しい「マナモウキとしての理想」を押し付け、彼女を追い詰めようとするのですが・・・・・「マナモウキ」。など、8話からなる連作短編集。

 

 

 ジャンルはSFとされていますが、SF要素は舞台が地球ではないという一点のみ。

 あとは「文明と進化、啓蒙という名の独裁」をテーマとした普遍性のある作品集になっています。文庫の裏表紙に「ユートピアを崩壊から守ろうとするコリバの戦い」的なあらすじが書かれており、また物語そのものがコリバの主観から書かれているので、読者のほとんどはコリバ目線で読もうとするでしょうが、かなり早くモヤモヤとした、そしてチグハグな感じで落ち着かなくなるでしょう。読者が「主観」とするべき人物にほとんど同感できない、むしろ彼に対抗して「楽園の平穏」を揺るがせる側に共感してしまうというジレンマに陥ってしまうことと思います。それこそが、作者レズニックの意図したことなのです。

 

 清廉潔白にして、公正な秩序の保護者であるコリバ。しかし彼は、ただひとりイェール大学、ケンブリッジ大学を卒業した”知識人”。なんのことはない。周囲の無知を担保に、最初から自分が上から目線を保てるメンバーに囲まれているだけ。そのため、キクユ語を流暢に話すワンダに対し穏やかならぬ気持ちを感じたのです。

 そして、また彼は、キリンヤガでたったひとり、コンピュータに接することができました。

  後半のエピソードで、族長コイナーゲの母ムンビがある真実を指摘、コリバは怒り、公衆の面前で、ムンビを呪詛します。そして、その呪詛によりキリンヤガは大干ばつに襲われであろうと予言。まさしく、その日から一滴の雨もふらなくなるのですが、なんの不思議もない。コリバがコンピュータの気象操作システムで、晴天を続かせただけ。そして、彼の計算どおり、真っ先に干上がってしまったムンビですが、彼女は一向にくじけるようす無し。家のそばの水源が枯れると、わざわざ、こともあろうに、コリバの住居近くの水場まで洗濯や水汲みにやってきます。そのうち、干ばつの被害はムンビ以外の住民にまで及んできて・・・・・・

 

 この世界がユートピアではないことが疑われ始められるのは、単体でもSF史に残る傑作と評価が高い第2話の「空にふれた少女」においてでしょうが、他の部分で引っかかりる人多数。「成人した男たちは、毎日、集まって酒を飲んでゴロゴロするだけ。労働の一切を押し付けられた女の地位は奴隷以下の家畜同然。これって、ダメじゃん」との感想。しかし、どんなに抑圧しても、進化しようとする流れはおこる。しかも、女性から。部族に、とある発明をもたらしたのは、ワンダと親しかった若妻キボ。このあたりには深い感慨をおぼえます。

 と同時に母や妻が勝手に進化しちゃう族長コイナーゲの、なんというか「女難」に少なからず笑えてしまうのですが。

 

 SFというより、壮大な年代記として、秀逸極まりない物語。読後感は「指輪物語」に匹敵し、さらに読みやすいので負担は少ないという素晴らしさです。

 納得いかないのは、これほどの作品が10年くらい前に絶版となってしまったこと。あの頃、ハヤカワ文庫は「絶版大ブーム」の感があったのですが、それに巻き込まれた、という感じです。今ならまだ、中古で格安で入手可能のので、興味のある方はお早めに。

 特に上記の「空にふれた少女」は人気の高さが納得できる内容。哀しい話なのですが、一面では「進歩していこうと望む人間という種の可能性」を感じさせるエピソードでもあります。教えられてもいないのに、こんなことや、果てはあんなことまで成し遂げてしまう少女カマリの能力。悲劇ではあるけど、希望でもありました。

 

 読破してからプロローグを読みなおすと、同じ父子の会話が全くちがったものに感じられると思います。

 

 あるアマゾンレビュワーさんのひとこと。「嫌なヤツは最初からイヤなヤツだった」

 まさにそのとおり。いいヤツかも、と思わせる第3話「ブワナ」でも、やっぱり嫌なヤツでした。