ジェーン・ギャスケルの「アトランの女王」(創元推理文庫)全3巻

 

 ヒロイン、キーヤ、17歳。山合の弱小国の君主である女執政官の娘。生まれてこのかた、高い塔の最上階の部屋で暮らしています。どうやら民衆は彼女を神聖視しているようす。しかし、そんなことはキーヤには何の意味もありません。とにかく退屈。無聊をなぐさめるのは大量の書物。読書によって彼女は「現実世界」の知識を知っています。この国が大きな大陸の一部であること。東の海を渡った彼方には、少しだけ小さい大陸アトランがあること。

  ある日のこと、キーヤは塔を登って闖入してきた醜い大女と出会います。大女は自分は「男」だと主張。キーヤは混乱します。男性という性はすでに死滅してしまったと母や侍女たちから教えられていたからです。登ってきた「男」は男性は滅びるどころか、女性と同じくらい生存していることを告げます。

  男の名はゼルド。筋骨たくましい大男で、服を着ていても筋肉の隆起が見てとれます。堅い皮膚は青銅色で、ところどころにウロコがある。彼は軍事大国「北方王国」の大貴族と雌の竜の間に生まれた半人半竜の男。そして、いまや王国の将軍として無比の武勇を誇る軍人だったのでした。

 彼がなぜ弱小宗教国家に来たのか。それはこの小さな国が遠征の途上にあったから。遠征の目的地は東方の大陸アトラン。超科学文明を誇るアトランは、真空のバリアによって大陸全体を護ってきたのですが、北方王国は真空に空気を注入し、バリアを無効化する方法を見つけたのでした。さっそくアトラン討伐の大軍が組織され、それを率いるのがゼルド。彼は途上の国々に立ち寄っては、人質を要求してきました。

  そしてキーヤも、国家の貴族、高位神官の子女たちとともに人質として、ゼルドの遠征軍に同行することになります。付き従うのは幼い頃からの馴染の侍女、ウールドラ。キーヤの母は娘の出発に際して、ひとつの使命を与えます。それは、どんな手段でもよいからアトランに着く前に、ゼルドを暗殺せよ、というもの。年若いキーヤにとって、それはあまりにも重く困難な密命でした。

 

 

  天才少女作家ジェーン・ギャスケルによって書かれた2作目のファンタジー。圧倒的な空間、時間スケールの大きさ。世界史上に残るべきファンタジーの傑作を3つ挙げろと言われたら、間違いなくこの作品を1位に選びます。2位は、これも間違いなくトールキンの「指輪物語」。3位まできて多少迷いますが、やはりパトリシア・A・マキリップの「イルスの竪琴」でしょうか。というより、現存している作品で、私の中の「ファンタジー基準」を厳密にクリアしているのは、この3作しかない上、他の有象無象のファンタジーとは、面白さのレベルが、はっきり言ってヒトケタちがう、輝ける傑作群なのです。現実には3作のうち2作が絶版という寒い現状。信じがたいことですが「指輪物語」すら、一時は絶版だったのです。

 3作すべて素晴らしいのですが「アトランの女王」は、え、これ「少女が書いたの?」と驚嘆させられるレベル。比較するとクリストファー・パオリーニの「エラゴン」 なんて、かわいいもんです。

 

 この作品を読んだのは高校2年の夏休み。すでに絶版になっていて、母の本棚にひっそりと眠っていたのです。3巻まとめて読んだあとは、茫然自失状態。「指輪物語」や貴志祐介さんの「新世界より」を読んだ後のように、しばらく現実世界に立ち戻ることができませんでした。少なくとも10日は、「アトランの世界」に浸っていたと思います。

  今、読み返しても、やはり他のファンタジーとは全てにおいて格が違います。しかも、やはり面白い。「この作品を絶版にしておいて、どこが”ファンタジーブーム”なのか」と慨嘆ずるレビューがアマゾンに寄せられていますが、まさに同感。

 

 まず緻密に構築された世界観。それが説明的に描かれるのではなく、「キーヤの日記」というスタイルで描かれているため、読者には「世間知らずな」キーヤとともに、徐々にこの世界の様相を知っていくという形式。

  「キーヤの日記」つまり、徹頭徹尾、一人称なのですが、一人称であることが「制約」になっておらず「高効果」となっているところが既にすごい。一人称は壮大なファンタジーを描くのには不向きだと認識されていると思いますが、どうしてどうして、50年ほど前にすでに一人称壮大ファンタジーが描かれていたのです。

 

 登場人物はヒロインであるキーヤを含め、「ファンタジーの類型」に当てはまらないキャラのオンパレード。

 1巻で人質仲間である少年少女たちとの交流?(交友などという、あまっちょろい関係ではない)が描かれるのですが、人質たちが「架空世界の定型」ではなく「普遍的リアルキャラ」たち。

 少女イェレルドラ、美少女だが太っているせいで、美人度マイナス10%、しかし、その分、男受けがし、特に中年オヤジたちはイチコロのフェロモン少女、なのに自分がモテキャラであることに気づいていない、ゆえに自己肯定力の低さはハンパない。少女イレン、スレンダーでクールなリケジョ系と思ったら、トンデモ中二病少女。少年ライサンダー、イェレルドラの兄、妹に似て美形だが、ヘタレ、たいへんに残念な性格、妹の下着を見て興奮するオバカ満載キャラ。少年スマヒル、身長が低いが、「クールでシニカルな」性格のおかげで、ライサンダーよりも美形認定されており、はるかにモテキャラ、年上女性を総なめするが、実はキーヤのような「クールでシニカル」な小柄少女がタイプ。そう、共通する「クールでシニカル」「小柄」は重要なキーワードです。

 

 とにかく、女性キャラの描き方は秀逸のひとこと。ゼルドの愛妾”麗人”の気まぐれ雌猫キャラも良いし、北方王国に残されたゼルドの超絶美形正妻セディリに至っては、たぶん男性作家には書けない人物設定。キーヤの侍女、実は・・・・・・のウールドラの淑女の仮面に隠された本性。これも男には書けないと思う。

 キーヤはモテます。ゼルドとスマヒルという「二大いい男」の心を捉えて離さないというだけで、すでにすごい。ふたりとも恋愛経験豊富な男たちで女は選び放題なんですから。しかし彼女自身の日記上で「モテキャラである」という表記は皆無。彼女を取り巻く男たちの言動、彼女に対する態度によって、彼女が魅力的なモテ女である事実が浮かび上がってきます。これはけっこう難しい表現テクニック。昨今の、特にライトノベルでは、ヒロインがモテキャラ美少女設定されているのに、文章上でもストーリー展開上でも、ちっともモテていそうにない残念なキャラになってしまっていることが、しばしば。「SAO」のヒロイン、アスナはまだしも、「リゼロ」のメインヒロインのエミリア、美少女設定ですが実際にはスバル以外の男たちからは、ガン無視状態では? 所詮、精神年齢14歳という未熟さ。「魅力的」と言葉では表現されていても、恋愛ステージを勝ち抜けるほど魅力的なのか疑問です。

 キーヤはエミリアの真逆を行くキャラです。

 

 キーヤが身近にいて、内心、まんざらでもない様子のゼルド。しかし、アマアマ展開にはなりません。なにしろ、”麗人”がいる上に、毎夜、伽をさせる女たちが順番待ち状態のゼルド。やっと、キーヤの順番になったと思ったら・・・・・・

 結局、キーヤの初体験の相手は、なんと中年のモブオヤジ。小者感ハンパない男です。手塚治虫さんの「火の鳥」確か「宇宙編」?に登場するような鳥型ヒューマノイドを偏愛し、「彼女」たちを「飼って」いる描写がキモイことこの上ない。

 ものすごく盛り上がりにかける展開なのに、なぜかどんどん盛り上がっていくストーリー。

 

  大蛇に呑みこまれそうになったり、人買いに売られたり、美少年給仕として南方王国の王宮に潜入したり、巨大宗教国家の社交界の花形になったり、山賊の頭にホレられて「姐さん」になったりと、「波乱万丈」という言葉では片づけられないキーヤの冒険の旅。何度も逆境に落されながら、這い上がってくるメンタルの強さには脱帽します。

 

 なお今世紀に入って、一度復刊されましたが、その時に付けられた日本語サブタイトルは削除してほしいです。また復刊時の表紙イラストもイメージぶち壊し。

 続編「サム・サマーランド」は和訳されていないので、なんとか英語版ペーパーバックで読みましたが、これまたリーダビリティの高いファンタジー。なぜ翻訳されなかったのか。すでにして、「アトランの女王」第3巻で、キーヤが「女神」化してしまったからかな、とは思うのですが。

  

 しかし、「東方に大陸アトラン(言わずもがなアトランティスを示します)を望む」ということは、キーヤたちが生まれた「大陸」とは「南米大陸」をあらわすのですね。そして実は「キーヤ」という名はゲール語、つまりケルト民族の言語による表記。ケルト民族と古代アンデス文明の関連性は、かなりの人が大まじめに論議しているテーマ。そう認識して再読してみると、あらためてこの物語の壮大なスケールに圧倒されると思います。