志駕晃さんの「ちょっと一杯のはずだったのに」(宝島社文庫)

 

  ラジオ局、秋葉原FMに勤める矢嶋はひどい二日酔いで目を覚ましました。

  場所は自宅。しかし、帰りつくまでに、いろいろと紆余曲折があったらしい。「らしい」というのは、その経過をまったく覚えていないから。矢嶋には、泥酔して眠りにつき、起きると飲んでいる間の記憶をさっぱり忘れてしまうという悪癖がありました。今度もこの癖が出たようです。昨晩、一件目の居酒屋で飲んでいるさなかで、早くも記憶がなくなっていす。スマホを見ると、恋人の女流漫画家、西園寺沙也加から「大切な話があるので家に来てほしい」とのメッセージが。それに従って、彼女のマンションに行ったことを、矢嶋はかすかに思い出します。そして、「こんなに酔っぱらっていては話ができない」と言われたことも。しかし、その後のきおくはやはり、さっぱり。

 とりあえず、出勤すると、秋葉原FMは緊迫した雰囲気。人気番組「ミステリーナイツ」のパーソナリティをつとめている沙也加がまだ局に現れないというのです。

 番組のスタッフは沙也加のマンションにまで、彼女を迎えに行くことになりました。沙也加はいました。半裸の他殺死体となって。首に巻きついているのは、矢嶋が沙也加からプレゼントされたネクタイ。

 直ちに呼ばれた警察は、アリバイがない点と、ネクタイの件から、矢嶋を犯人扱いし始めるのですが・・・・・・

 

 

 志駕晃さんは「スマホを落としただけなのに」で、宝島社の「このミステリーがすごい大賞」の隠し玉としてデビューした作家さん。新人作家さんにとって、受賞後一作目は、評価を分ける非常に大切な作品なわけですが、この作品はどうかというと、感想は「取りたてて大きな欠点はない」というもの。

 しかし、デビュー作を凌ぐ作品にはなりえませんでした。デビュー作も傑作とは言い難いのですが、スマホというギミック、現代の情報社会への警鐘と言うべきメッセージ性のようなものがあって、読んだ人によっては「新鮮」と受け取られたようですが、本作は「ただのミステリー」です。それ以上のものでは、けっしてありません。

 

 序盤で殺人事件があり、主人公に疑惑がかかり、アリバイやら密室やらの謎が絡んで、最後に解決というだけの内容。序盤の事件も島田荘司さんなどが訴え続けている「不可思議で、魅惑的な謎」にはなりえていません。ただ、密室に転がっている絞殺死体。それだけです。周木律さんの「眼球堂の殺人」のように、その死体が手の届かぬ針状の柱に串刺しになっているわけでもない。

 にもかかわらず、アマゾンのレビューの評価は高いですね。平均4.8星といったところ。満点に近いということです。

 なぜか。

 

 殺人事件が起こって、警察が手がかりをもとに試行錯誤、最後に「意外な」犯人を突き止めるというストーリーが新鮮、という意見がありました。つまり「本格ミステリー」の定石が新鮮、と感じられているのですね。

 これには現在に至る30年間ばかりの間、東野圭吾さんの近作や、宮部みゆきさんの作品、あるいは「日常の謎」などが主に「ミステリー」として読まれ続けてきたという背景があると思います。

 つまり、松本清張作品を読みなれてきた読者たちが、はじめて綾辻行人さんの「十角館の殺人」に始まる新本格を読んだときのような新鮮さを読者が味わったということなのでしょう。はっきり言って「この程度の作品で?」というのが正直な気持ちです。新本格の作品から、またひとつ飛躍をみせた今村昌弘さんの「屍人荘の殺人」や、梓崎優さんの「叫び」(短編集「叫びと祈り」に収録)、あるいは市川憂人さんの「ジェリーフィッシュは凍らない」シリーズを読んだ人なら、ものすごく新鮮さを感じて当然だと思うのですが。

 

 また「最近では誰も書いていない『密室』という要素を復活させた傑作」という意見もあるのですが、「密室」は最近に至るまで書き続けられているテーマのひとつです。市川さんの「ジェリーフィッシュ」は文字通り、空飛ぶ密室ですし、それ以前の「書かれていない」と主張されている時期にも、貴志祐介さんの「硝子のハンマー」、深水黎一郎さんの「エコール・ド・パリ殺人事件」、北山猛邦さんの「密室から黒猫を取り出す方法」など、さまざまな「密室」が発表されています。(とりわけ新鮮だと感じたのは、似鳥鶏さんの「市民高校」シリーズの「まもなく電車が出現します」なんですが)。まさに、脈々と密室ものは書き継がれ、十指にあまるほどの近年の名作をあげることができます。

 

 かなり、考えさせられてしまいました。近年の読者さんたちに読まれているのは、ほんの一握りの有名作家さん、東野圭吾さん、宮部みゆきさん、伊坂幸太郎さんなどの作品のみになってしまっているのが現実なのだろうか、と。

 たとえば、小島正樹さんは「てんこもり」ミステリーで登場して以来、今も進化変貌を見せている書き手なのですが、これほどの作家さんでも知られていないのかもしれない。パノラマティックなミステリーが持ち味だった霧舎巧さんなどは、忘れられた作家さんどころか、きいたこともない作家さんになってしまっているのかもしれない、と。

 これでは、優秀なミステリーの新人作家さんの作品が数年で絶版になってしまうのも当然です。

 

 「ちょっと一杯のはずだったのに」に話を戻しますが、「このミス大賞」的ミステリーがお好きな人には楽しめるかも。しかし、本格ミステリーを読みこんでいるミステリーファンには、あまりおススメできるものではありません。少なくとも、買わずに図書館で借りることをおススメします。

 とにかく「なんのヒネリも驚きもない」作品でした。

 

 ちなみに「酒をのんだあげくのピンチ」というシチュエーションなら、古典ですが、ウィリアム・アイリッシュの「幻の女」のほうがはるかにおもしろいのは言うまでもありません。