ビリー・ローズとジプシー・ローズ・リーとのあいだには、彼とサリー・ランドの関係とは比較にならないほどの深い因縁があった。



ジプシーがまだ駆けだしのストリッパーとして、悪名高いバーレスク劇場「ミンスキー・リパブリック・シアター」に出演していた1934年頃、彼女の美しさに目をつけてナイトクラブに引き抜いたのが、ビリーであった。



バーレスク劇場というのは、きわどい歌や踊りを安価な入場料で楽しませる、庶民シアターであった。



バーレスクは、いわばアメリカのバラエティー興行といえるが、警察の目を盗んでストリップまがいの裸ダンスをさせたり、卑猥な演劇を演じさせたりもした。

客ダネも悪く、出演者のなかには早く脱出したいと思う者も多かった。



ジプシーもその一人だったのである。



ダンスアーティスト☆飯干未奈   BLUE ROSEオフィシャルブログ

一方、バーレスク劇場が場末の小屋だとすると、ビリー・ローズが経営していた「カジノ・ド・パリ」は、食事とダンスを楽しむ優雅なシアター・レストランであった。

格も、ぜんぜん違っており、すくなくとも場末のいかがわしさは感じられなかった。



ジプシーは救われた思いで、バーレスクからシアター・レストランに移籍したのだが、すぐにビリー・ローズと衝突する羽目となった。



ビリーが彼女にヌードになるよう要求したのである。

詳しい記録は残されていないが、たぶんビリーは一糸まとわぬ姿で舞台に立て、と命じたのだろう。



というのは、彼女が所属したミンスキー劇場は、ストリップティーズを誕生させた本家本元といわれ、乳房をあらわにする程度のことはシンガーやダンサーに要求していたはずだからである。



ジプシーはその申し出を拒否して、ビリーを激怒させたのである。



その後二人は、顔をあわせることはなかったが、こともあろうに、ビリーが仕切ったニューヨーク万博のアトラクション分野に、そのジプシーが参入してきたのである。



おまけに彼女をプロデュースするのは、ライバルの興行主マイケル・トッドだった。




ジプシー・ローズ・リーは、ノルウェー移民の血を引く女性で、16歳にならぬうちに旅回りのレヴュー一座に加わり初舞台を踏んだ。

背の高い、細身の女性であった。



無名のダンサー、シンガーとして旅回りをつづけた。

カンザス州のミズーリ劇場で初めてストリップティーズと遭遇し、やがてストリッパーへと転身した。



彼女がその名を上げるきっかけとなったのは、1931年にニューヨーク42番街のバーレスク劇場「ミンスキーズ・リパブリック・シアター」への出演であった。


この劇場には、後年名を上げるバッド・アボットとルー・コステロの二人がいて、笑いの軽演劇を担当していた。


また、サリーランドを真似てファン・ダンスを踊り、2メートルものヘビを首に巻きつけて演技することでも知られた妖艶な先輩ストリッパー、ヌーダイナがいた。



いったいジプシーのどこが人気を博したのか・・・。

豊かな女体の持ち主というよりも、ノッポで脚の長い貧弱な体の持ち主。


しかし、彼女はその肉体に、特別な色付けをほどこしていた。

華やかに飾るのではなく、むしろ妄想をさそうようないでたち。。。。黒のストッキング、レースのパンティー、赤いガーターベルト、メッシュあるいはフィッシュネットのボディースーツを着けた。



この誘惑的なコスチュームに反し、彼女の顔は美しい上に、とても気さくな印象を与えた。

しかも、黒いストッキングに赤いガーターベルトの脚をあらわにし、そのストッキングを脱ぐときには、とても恥ずかしそうな表情をするのである。



だが、同時に彼女には不可思議な才能があった。

それはおしゃべりである。

観客とコミュニケーションができたのである。



彼女はのちに自伝や推理小説まで執筆したほどの勉強家であった。

冗談をいいながら、コスチュームを外していき、それを軽く観客に放ってわたす。

そのときに、冗談をつぶやくのである。

この演出は新鮮だった。



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ジプシー・ローズ・リーは、この黒いストッキングと赤いガーターベルトの演出で、ストリップティーズの基本演技をつくりだした女性だった。