ロイ・フラーがトップダンサーにのし上がった、当時の大ミュージックホール「フォリ・べジュール」にあって、トップスターに輝くことは困難をきわめる偉業であった。


というのは、1918年を境として本格的なヌードショーが演じられるようになるまで、ミュージックホールの柱はトップ女優の競演に支えられていたから。

では、そのライバルたちを紹介します。






Blue Rose Diary-エミリエンヌ・ダランソン

フランス生まれのコケティッシュな美女エミリエンヌ・ダランソン は、「パントマイム・バレエ」と称する出し物の女王であった。

体にぴたりとあったボディスーツを着け、ショートスカートをはき、片メガネをかけた姿で、セクシーなパントマイムを演じた。

あまりにも美しかったため、ベルギー王レオポルト二世は彼女の魅力に参り、愛人としたほどだった。


Blue Rose Diary-エミリエンヌ・ダランソン









Blue Rose Diary-オテロ

カロリーヌ・オテロ は、歌もダンスも達者にこなし、恋多きスターであった。

そのダンスはミュージックホールで見ることのできる踊りのうちで最もエロティックといわれた。

なにしろゆたかな腰とお尻をベリーダンス以上にやわらかく、くねくねと回転させる上に、サラブレットのたてがみを思わせる長い黒髪を、前にうしろに激しく降りまわしたから、見物人は卒倒した。

乳房に宝石を飾り、ライトの下で激しいダンスをすると胸元に七色の輝きが生じた。


Blue Rose Diary-オテロ











クレオ・ド・メロード もまたレオポルト二世の心を射止めた美女。

パリのオペラ座でバレリーナとして人気を博したが、高給でフォリ・べジュールに引き抜かれた。
Blue Rose Diary-kureo










Blue Rose Diary-マタ・ハリ

ヨーロッパの王族や政治家たちを手玉にとったマタ・ハリ は、気丈なダンサーとして男性に人気があった。

本来はオランダ人だが、エキゾティックな容貌のゆえにインド人と称し、妖しいインドのダンスを踊り続けた。

彼女がスパイであったことが発覚し、処刑されたとき、仲間のダンサーだったオテロは「彼女がスパイだったかどうか、検索すべきじゃないわ。彼女のダンスを忘れないことのほうが大切」と述懐した。


Blue Rose Diary-マタ・ハリ









さらにもう一人、後年偉大な女流作家となり、女性で二人目のレジオン・ドヌール勲章に輝いたコレット も、フォリ・ベルジュールのダンサーだった。

あまり人気のあるスターではなかったが、楽屋にいつも本をずらりと並べて読みふけっていた。

コレットは1907年に『肉』というパントマイム劇に出演、舞台ではじめて乳房をあらわにした女優となった。


Blue Rose Diary-コレット







かたやオテロやクレオのような男好きのする美女たち、かたやコレットやマタ・ハリのような個性あふれる妖女たち、そのなかにあってナンバーワンのスターとして君臨したロイ・フラーが、いかに人気のあるダンサーであったか、強調するまでもないでしょう。