ある日、テレビをぼーっと観ていたら、
男性アイドルグループが“デート服”をコーディネートする企画をやっていました。

 

 

それぞれが「これが自分らしい」と思う服を選び、
スタイリストなど“プロ”と呼ばれる人がそれを評価する──という流れ。

 

 

 

でも、番組の中で私がモヤッとしたのは、
その「評価」のあとに、グループ内の一人が毎回最下位になって、
全員から「ダサすぎ!」「なんでそれ選んだの?」と笑われていた場面。

 

 

 

「笑い」として処理されていたけれど、
私は、それを見てすごく嫌な気持ちになりました。

 

 


それって、ただの“笑い”じゃないよね?

 

もちろん、番組としてはバラエティのノリだったのかもしれない。
 

 

でも、毎回「ダサい」と言われ続ける子の立場になって考えたとき──
 

 

 

あれは“ただの笑い”ではなくて

「こうあるべき」という価値観の押しつけに見えた。

 

 

「異性にウケる服はこういうの」
「今っぽいものが正解」
「それ以外はセンスがない」

 

 

…そんな前提で評価されて、笑われて。
 

 

 

それって、その人の“好き”や“個性”をつぶしてしまうことにもなる。

ほんとうに、それでいいんだろうか?

 

 

 


高校生に教えてもらったこと

 

ある高校で性教育の授業をしたときのこと。
 

 

「性の多様性」について話したあと生徒たちと感想を共有していたら、
ある女の子が、こんなふうに話してくれました。

 

 

「私は、自分が好きな洋服を好きなように着たいんです。
女の子らしいとか、男っぽいとかじゃなくて、
自分らしさを大事にしたい。」

 

 

この言葉を聞いたとき、私はハッとしました。

 

 

「男だからこれ」「女の子なんだからそれ」
そんなふうに“枠”の中におさめようとするのではなく、
もっと自由に、自分らしくいていい。
 

 

そうやって、「好き」を大切にする姿に、私は教えられた気がしました。

 

 

 


性教育は、“その人らしさ”を守る学び

 

私が性教育の中で大切にしているのは、
「性」=「からだ」や「セックス」の話だけじゃなくて、

 

 

  • 自分のことを知る

  • 相手のことを知る

  • そして、お互いがよりよい関係を築いていく

 

 

そんな、人として生きていくための「土台」をつくる学びだということ。

だからこそ、性教育は「人権教育」でもあるんです。

 

 

 


わからなくても、否定しない世界へ

 

誰かの「好き」や「個性」や「自分らしさ」が、
「おかしい」と否定されるのではなくて、
 

 

たとえすぐに受け止めきれなくても、

 

 

「そういう考えの人もいるんだね」
「自分とはちがうけど、それもその人の大事な一部なんだね」

 

 

そんなふうに思えるやさしさを、私たちは育てていけるはず。

 

 

 

理想は、お互いをまるごと認め合えること。
 

 

でもまずは、「わからないから否定する」ではなく、
 

 

「わからないけど、否定はしない」
 

 

そんな関わり方から始めていけたら──
私はそれが、“誰もが自分らしくいられる社会”への一歩になると思っています。

 

 

 


✨問いかけ

 

あなたは最近、誰かの「好き」を笑ってしまったこと、ありませんか?
それは、本当に笑っていいことだったでしょうか?

 

 

 


🪞今日できる、小さなアクション

 

テレビやSNSで「笑い」とされている場面を見たとき、
「この人はどんな気持ちなんだろう?」と、いちど立ち止まって考えてみる。
 

 

それだけでも、世界の見え方が少し変わってくるかもしれません。

 

 

 


📝もっと深く考えたいあなたへ

 

この記事に共感してくれた方へ。
noteでは、性教育を通して「自分らしさを守る」ためのヒントを、
もう少し深く掘り下げて書いています。
▶︎noteはこちらから読めます

 

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕

お昼寝してたけど、物音に驚いて起きるw

寝ぼけた顔…も、かわいい💕