📌ニュースを見て、立ち止まった問い
最近、ある事件がニュースで話題になりました。
教員による、子どもへの性加害。
職業柄こうした報道を見るたび、胸がぎゅっと痛みます。
同時に、こんな問いが頭から離れなくなりました。
性教育って、性犯罪を防げるの?
📌教育“だけ”では防げない。でも…
私は性教育に関わる立場として、
「伝えることの意味」や「教育の限界」について何度も考えてきました。
もちろん、知識だけでは人は変わらない。
「わかっていたけど、やってしまった」という加害も、現実には存在しています。
そう考えると、性教育“だけ”で性犯罪を防ぐことは難しいのかもしれません。
📌「知っていたから気づけた」子どもの声
でも一方で、ある生徒の言葉を思い出しました。
「デートDVの授業を受けて、自分がされていたことが“おかしいこと”なんだってわかりました。」
この一言に、ハッとしたんです。
たしかに、嫌だと感じる感性とか、
“違和感”を言葉にできる土壌とか、
そういうものって知識があってこそ育つこともある。
教育“だけ”では足りないけれど、
教育“なし”では育たないものが、きっとある。
📌「性教育=性の話」じゃない
性教育って、よく「性行為の話」と捉えられがちだけど、
私の中ではもっと広くて、もっと人間的な営みだと思っています。
ユネスコが提唱する包括的性教育(CSE)でも、
からだのこと、心のこと、人との関係、自尊感情、権利、同意、ジェンダー…
そういったテーマが含まれています。
性教育は、
自分を知って、自分を大切にすること
そして、相手を尊重しながら関わる力を育てることでもある。
つまり、それは「生きる力を育てる教育」なんだと思うのです。
📌「教育」の境界線を、もっとゆるやかに
私たちはきっと、
「これが教育の役割」「これは家庭の責任」「これは社会の問題」って、
線を引いて安心しようとしてしまうことがあるかもしれません。
でも、子どもたちのまわりにあるすべてが「環境」であり、
そこから受け取るものすべてが、ある意味“教育”なのだとしたら──
教育という営みは、もっとひらかれていて、
もっと日常的で、もっと対話的であっていいんじゃないかな、とも思うのです。
📌私は、実践者であり続けたい
私自身、こうして悩んだり考えたりしながらも、
現場で子どもたちと向き合う“実践者”であり続けたいと思っています。
どんな性教育を届けたら、
子どもたちが「自分を守る力」を手にできるだろう?
どんな関わりやまなざしが、
加害も被害も生まない関係性を育めるだろう?
きっと、これに“正解”はありません。
でも、それでも私は、
教育という営みの可能性をあきらめたくない。
だからこそ、これからも問い続けたいんです。
性教育を通して、
教育を通して、
私たちはどうやって子どもたちを守っていけるのか?
現場で悩みながら、揺れながら、
それでも一歩ずつ進んでいけたらと思っています。
💬あなたは、どう思いますか?
性教育って、性のことだけでしょうか?
そして、教育にできること、できないことって、どこにあるんでしょうか?
あなたの中にある「教育」のイメージも、
今日ちょっとだけ、見つめてみませんか?
🌱今日できる、小さなアクション
-
子どもの「なんかいやだった」を、ちゃんと聴いてみる
-
自分の違和感に、名前をつけてみる
-
「教育ってなんだろう?」を、誰かと話してみる
🔗noteもどうぞ
今日のサスケさん💕
今朝は5時起きでお散歩に🐕
涼しくて元気モリモリ✨かわいい💕

