いよいよ梅雨入り?
って感じのジメジメした空です。
空気が纏わりつく感じ。
こんばんは。えみ先生です。
養護教諭として働いていたとき
私は、子どもたちとの距離を
空気で感じていました。
保健室に入ってくる子どもたちは
いろんな空気を身に纏ってやって来ます。
元気そうに
「先生ーー‼︎」と入って来ても
なんとなく悲しそうな空気だなぁと思うと
話しているうちに
ポロポロと涙をこぼし始める…
なんてことはよくありました。
不登校や不適応といわれる子どもにも
その子の空気を感じながら
少しずつ、少しずつ
心の距離を近づけて行きました。
その時は何も知らずにしていたんです。
そんなやり方しかできなかったし、
1番効果的だったから。
それが、
皮膚は「聴いている」
皮膚は「見ている」
皮膚は「味わっている」
皮膚は「嗅いでいる」
さらに、
心理的な変化を予知したり
考えたり、記憶もしていて
その皮膚同士が
コミュニケーションしているからできたことなんだと知ったのは
身体のことをしっかり学び始めてからでした。
人間関係において
相手と合うか合わないかを表す言葉で
「息が合う」
と
「肌が合う」
というのがあります。
どちらも人間関係上、大切なことですけど
その違いってすごいんですよね。
それは、身体の機能から見るとよくわかる。
呼吸って、唯一、
生理的な機能の中でコントロールできるんですよね。
心臓は止めようと思って止められないけど
呼吸は一時は止められるでしょ。
相手と、呼吸を合わせることはできる。
でもね。
なんとなくの感覚って合わせられない。
「なんか生理的に合わない」って。
無理に相手には合わせられないんですよね。
物理的に「肌を合わす」ことはできても
嫌悪感を感じるだけなんですよね。
そしたらさ、
相手に触れることができて
相手がそれを受け入れてくれることって
めっちゃすごいことって思いませんか?
赤ちゃんは
産まれてからお母さんに抱かれることで
安心感や「ひとは信頼できるものだ」ということを学びます。
そしてね、
その感覚ってとっても心地よくて
子どもたちって本当に触れ合うことが大好きなの。
それは、小学生でも中学生でも高校生でも。
きっと、信頼している人に触れていることで
安心できるんだと思う。
私は養護教諭っていう特権として(笑)
「手当て」をする人だったから
絆創膏を貼ってあげたり
包帯を変えてあげたり
泣いている子の頭をなでてあげたり
自然に「触れる」ことをしていて
言葉だけじゃなくて
「触れる」ことで
コミュニケーションしてた。
言葉でよりも深く。
たぶんそれって
大人になっても同じなんだと思うんだよね。
抱きしめられる相手が
お母さんじゃなくて
「愛する人」に代わるかもしれないけど。
そして、
もしかしたら「性」って
その最たるものなのかもしれないなって感じるのです。
母親と自分、
それ以上に自分をさらけ出す行為なのかなって。
そしたら、
もう「性」って無視できない存在ですよね。
いやらしいことではなく
ないものにするものでもなく
生のなかに普通にあるもの。
そう考えられたら、
もっともっと生きやすくなる人がいるんじゃないかな。
いつかの私のように。
「触れること」は「生きること」
「性」をそんなふうにとらえてみてはいかがでしょうか?
