私は問題が発生した時

 

人頼みでなく

 

自分でなんとかしたい性格です。

 

自分でいろいろ工夫するのが楽しいんです。

 

それなのに

 

がんになった時は

 

病院にも行かずに放置しただけで

 

食事療法でなんとかしようと思いませんでした。

 

無意識に

 

知人のケースが作用したのかもしれません。

 

食事療法でがんが消えたなどの本があるけど

 

私の知っているのは正反対のケース。

 

食事療法でなんとかなると信じて

 

絶対になんとかしてみせると宣言して

 

治療を拒否して抗がん剤も受けず

 

亡くなってしまった知人がいたんです。

 

彼女はラオス人。

 

40代。

 

当時の私は30代前半でした。

 

4人目がお腹にいたころ↓

彼女とはクリスマスとか祝日とか

 

何度も一緒に食事したことがありました。

 

すごく綺麗で

 

大きな帽子やサングラスがよく似合い

 

映画スターと言われたら信じてしまいそうな素敵な雰囲気。

 

会うたびに見とれていました。

 

ご主人もカッコよくて

 

洗練されたご夫婦でした。

 

その彼女が別人のように衰えたんです。

 

この人誰?と思ったほど。

 

がんでした。

 

何がんだったか覚えていないのは、

 

病名をフランス語で言われたからだと思います。

 

私たちの共通語はフランス語。

婦人科がんだったのは覚えているし、

 

子宮と言う言葉は知っていたから、

 

子宮がんなら理解できたはず。

 

卵巣がんだったのかもしれません。

 

彼女は父親が日本大使だったので

 

子供の頃に東京で暮らしたこともあり

 

叔母さん(私の友人)も医者だったのに

 

彼女がなぜ極度の医療不信だったのか。

 

どうして?

 

と聞けないような切迫感がありました。

 

ラオスは民間療法が進んでいるのかもしれない。

 

ラオス人はそうやってがんを治すのかも。

 

そう考えて私は自分を納得させました。

 

食事療法をがんばり続けたのですが、

 

会うたびに、

 

モデルさんのようだった美しさは失われて、

 

むくんで

 

細胞が肥大したみたいで

 

肌のハリもなくなり

 

輪郭がぼやけてきて

 

調子が悪そうで

 

そして亡くなりました。

 

たったの一例だけでどうこう言えませんが、

 

でも彼女の変化は強烈でした。

 

「食事だけじゃ無理。病院に行った方がいい」

 

病院嫌いの私でさえそう意見しました。

 

「死んでもいい。病院には行かない」

 

彼女の返事でした。

 

難民として着の身着のままで森の中に逃げ、

 

逃げて、逃げて、

 

ようやくたどり着いたパリ。

 

可能な限りの金を身につけて逃げたそうです。

 

売ってお金にするためです。

 

パリで難民認定を受け

 

なんとか落ち着いた生活が始まっていた。

 

治療を拒否して食事療法に頼ったのも

 

私には想像もつかないいろんな思いが複雑にからみあっていたのだと思います。

 

そして亡くなったのでした。

 

今でも浮かんでくるのは

 

帽子とサングラスが素敵だった

 

パリジェンヌという言葉がぴったりの姿です。