母との散歩タイムは、、

 

楽しいような楽しくないような(笑)

 

「あれ何な、すみれな?」

 

母が指さす畑は雑草だらけ。

 

「ホトケノザや」

 

1本摘みとって母に持たせる。

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手袋をした指で↑母が持ってます。

 

「ほんまや。仏具に似とる」

 

母はしげしげと眺めて名前の由来を確認。

 

なんでホトケノザなのか。

 

私は仏様が座る場所かと思ったけど、

 

仏具だったのかな。。

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「この感じが仏具や」

 

母が指さしているけど、

 

私はピンとこない。

 

そんな仏具あったっけ?

 

そう言えばお祖母ちゃんが生きていた頃は

 

毎年仏具を磨くという大事な作業があった。

 

子供だった私も遊び気分で手伝っていた。

 

母の代になってからしなくなった。

 

祖母が亡くなって以来、

 

私も仏具を磨いたことはない。

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「あの赤い綺麗なんは何?」

 

「あれは木瓜(ぼけ)や」

 

「ああ、木瓜やった。綺麗な色や」

 

母はこの日帽子をかぶらない。

 

「寒ないから帽子はいらん」

 

私の上着とともに膝にのせたまま。

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この道標を立てた人のことを書いた札を読む。

 

文字があればなんでも読む。

 

すでに散歩のさいの我々の習慣となった。

 

一種の時間稼ぎです(笑)

 

こんなやりとりはほのぼのしていて楽しいです。

 

ところが「山また山や」がはじまる。

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「うん」と同調したりもするけれど、

 

「こんな山ん中、、」とか言われると

 

「ここは山の中ではない」と言い返してしまう。

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「けど山や」

 

母も負けずに山だと主張。

 

まあ確かに山っぽいけど。。(笑)

 

山論争にくわえて最近は

 

「大きな家。家族が多いんかしら」が加わる。

 

よその家を見るたびにソレを繰り返す。

 

さほど大きな家ってわけでもなく、

 

田舎ならフツーサイズなのに、

 

「まあ、大きな家」と言い、

 

家族が多いんかしらと続く。

 

私はイラッ(笑)

 

なぜわざわざ事実誤認のようなことを言うのか。

 

いろいろ話すと、背後に

 

「若い人は出ていくやろ」があるらしい。

 

若い人がいなくなって見捨てられた老人は寂しい思いをしているだろう。

 

そんなニュアンスが

 

「家族が多いんかしら」に込められているらしい。

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なんでストレートに言わないかな~

 

語彙が少なくなっている?

 

母は昔から持ってまわった当て付けがましい言い方をする人だったしな~

 

そんなこんなで私はストレス(笑)

 

毎週、何度も繰り返して、

 

自分の受け入れ力が試されている気分です。