変なことを言いますけど、

 

もしも殺されるとしたら、

 

刀で切られるのと銃で撃たれるのと、

 

どちらがいいですか?

 

私は銃で瞬殺される方がいい。

 

刀でめった切りされるのは怖すぎる。

 

想像力が間違った方向にいってるかもしれないけど、

 

病気も同じような気がする。

 

本を読むために生きているみたいな私は、

 

これまでいろんな病気の体験記というか、

 

闘病記を読んできたけど、

 

ハンセン病の人の社会から切り離され隔離されるつらさは今でも心に残っています。

 

隔離されて閉じこめられて、

 

家族にも友達にも二度と会えなくなる。

 

社会とフツーにかかわる普通の生活を失う。

 

将来の可能性も、

 

未来への希望も強制的に捨てさせられる。

 

絶望というか悲惨というか。。

 

ハンセン病の人たちは、

 

社会から捨てられ、

 

忘れられてきたんです。

 

私がステージ3の進行がんにもかかわらず、

 

深刻に受け止めないで、

 

がん患者だったことを忘れてしまうのは、

 

呑気な性格とかそういう事ではない気がします。

 

自分ががんになる前にも、

 

なってからも、

 

いろいろながん闘病記を読みました。

 

タイトルは忘れたけど、

 

がん治療医が自らもがんになって死ぬのとか、

 

原崎百子さんの『わが涙よわが歌となれ』

 

戸塚洋二『がんと闘った科学者の記録』

 

その他いろいろ。

 

不思議なのは、

 

亡くなった方たちの書いたものなのに、

 

がん患者さんの闘病記には光があること。

 

絶望しているのに絶望してない。

 

希望が見え隠れする。

 

不思議な明るさがあるんです。

 

昔の結核患者さんの方がはるかに見捨てられた感があります。

 

かつての結核患者は孤独だった。

 

治療法もなければ、

 

患者仲間との交流もない。

 

医者とさえそんなに会わない。

 

感染をおそれて子供とも会わず閉め切った部屋に寝ているしかない。

 

病気のつらさに孤独のつらさが加わる。

 

つらかっただろうと思います。

 

がん患者にはそれなりに様々な治療法がある。

 

希望があるから積極的にがんばれる。

 

患者仲間との交流も可能。

伴走してくれる主治医がいる。

 

精神腫瘍科や緩和ケア科で精神的なサポートも受けられる。

 

私が呑気にしてられるのは、

 

もしもの時はそれなりのサポートを得られる安心感のおかげかも。

 

患者さん思いの誠実な主治医がいてくれるおかげかも。

がん患者にとって主治医の存在は大きい。

 

勝俣先生にもっと感謝しなくちゃなりませんね。

 

言葉が足りないだの滑舌が悪いだの、

 

グズグズ言ってる場合じゃないですね(笑)