ショートステイに行ってからは、すっかり元気で明るくなった母。

 

トイレにも自分で行くし、

 

顔も自分でちゃんと洗っているらしい。

 

自宅にいた時は、

 

私の用意した蒸しタオルで拭くだけ。

 

洗顔なんて言葉はきれいさっぱり忘れていたと思います。

 

そして、

 

「はよう死にたい」

 

「死んだ方がましや」と言い続けた。

 

そうかもしれない、死にたいだろうなと私もひそかに同感してました。

 

それでもいつだったか、

 

ポロッと、

 

「ほんまは死にとうない」

 

本音をもらして、

 

すごくびっくりさせられたこともあります(笑)

 

何歳になっても、

 

介護されるようになっても、

 

何もかもが不自由で、

 

痛くて苦しくて、生きているのが大変でも、

 

人間はやっぱり、

 

生きていたいと願うものなんですかね~

 

もう7年くらい前の話ですが、

 

私は子宮がんになりました。

 

不正出血が切れ目なく1年も続き、

 

ネットで調べて、

 

自分でも子宮がんだと自覚しましたが、

 

病院に行かずに放置しました。

 

その後、

 

友人に勧められた『「抗がん剤は効かない」の罪』を読んで、

近藤誠氏のがん放置説が間違いだったと知りました。

 

ようやく意見を変えることができたんです。

 

手術や抗がん剤治療を受けました。

 

おかげで今も元気でいるのですが、

 

放置していた当時は死を覚悟していました。

 

どうせいつかは死ぬのだから、

 

死因が子宮がんになるだけのこと。

 

どうせ死ぬなら、

 

苦しい治療なんかしたって意味がない。

 

そう思っていました。

 

死にたいわけではないのです。

 

死にたくはない。

 

でも人間である以上、死ぬのは仕方がない。

 

だから、病気によって死期が早まるのも仕方がない。

 

そう思っていたんです。

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医者や医療への漠とした不信感があり、

 

西洋医学への違和感があったためではありますが、

 

いちばん大きな理由は生きることに価値を見出せなかったからかも。

 

私なんかが生きていて、

 

いったい何の意味があるだろうか。

 

本気でそう思いましたし、

 

今でもそう思っています。

 

だからと言って、

 

死にたいわけでは決してないですよ。

 

生きていて、何があるというのだ?!

 

今でもやっぱりそう思うんです。

 

私が筋肉を鍛えておこうと努力しているのは、

 

生きるためではなく、

 

長生きするためでもなく、

 

死ぬための準備でしかありません。

 

死の間際まで、自力で生活したい。

 

そう思うから、だけのことです。

 

悲観的過ぎると言われるかもしれないけど、

 

私なんかが生きていて、何の意味があるだろうか。。

 

介護の必要な母でさえ死にたくないと言うのに、

 

私はよくよく生きることに期待してないってことでしょうね。。