





バンコク日本人応援コーチの
ネネです(プロフィールは→こちらから)






昨日、充実の1日を送り
23時に帰宅してテーブルに置かれた
ハガキは、いつもこの時期に届く
ありふれた喪中ハガキでした。
あまり年賀状を出さなくなった
今では軽く目を通す程度。
そこにあった名前は
実家のご近所さんの私の親友の
お母様でした。
びっくりするやら、、
ショックやら、、
その日はそのまま家の事に追われて
忘れていました。
翌朝(今朝だけど)
出勤前に一人で洗濯物を干していると、
おばちゃんの事が思い出されて
涙が止まらなくなりました。
親友とは
幼稚園から高校まで一緒でした。
幼稚園の頃
かわいい親友と美人のお母様の
家に行くのは私のワクワクでした。
我が家の地味目な母と違い、
社交的で華やかな人でした。
いつも明るくて、自分の娘のように
可愛がって頂きました。
彼女の家では
私は昼寝したり
泊まったりする仲でした。
学生の頃からおばちゃんは
「私は恭子ちゃんの結婚式でるけんね!!」
と言って、本当にでてもらいました。
社会人になったら
おばちゃんの保険に入りました。
あのバブル時代に入った
年金と保険。お宝ものです。
遊びに行ったら書類があって
はい、入るんだよ!みたいな感じで。
なんかそれが嬉しかったな、、![]()
銀行員時代は
定期預金しに窓口にきてくれて
「あんたたち、まだ結婚せんとね?!」
と突っ込んでくれました。
私と親友は3ヶ月違いで
29歳で結婚しました。
結婚したら親友が
神奈川に越してきて、、
なんとウチから車で30分。
腐れ縁とはこの事。
お互い出産して
なかなか会えなくなりました。
バンコクに行ってた10年は
私が一人で、親友がいなくても
彼女の実家に遊びに行くことも
よくあり、
おばちゃんも、8月はよく私の実家を
覗いてくれました。
そうめんとか、お菓子とか
いろいろ頂いたな(o^^o)
おばちゃんちに行くと
いつもたくさん食べ物を出してくれて
おじちゃんと焼酎で一杯
よくやりました。
おばちゃんは
保険の仕事をしてたのもあり
いつも綺麗にされてました。
親友がいてもいなくても
私には実家のような所でした。
おばちゃんの明るさが
大好きでした。
バンコクから帰国して、
私の生活が一変しました。
親友は同じ県の遠方に越して、
年に1回会うか会わないか、、
彼女がお正月、帰省しないのが、
少し面白くなく思っていました。
だっておばちゃん、待ってるから。
私は去年は子供の受験で
帰省しなくて、、
親友にもあってないまま
このハガキでした。
もう、どんなに悔やんでも
おばちゃんに会えないのです。
親友もどうして知らせて
くれなかったの?!と思いましたが
私も自分の事ばかりで
ろくに連絡してませんから。
あの空間に、
おばちゃんがいたあの場所の
あの空気は二度と味わえないのです。
毎日、毎日、、、
後悔しないように生きてる
つもりでしたが
まだまだみたいです。
おばちゃんが教えてくれた
気がします。
失ってわかるけど
とっても大きな存在でした。
大切な人がずっとそばにいるとは
限りません。
私は大切な人を大切にしてるだろうか?
おばちゃん、
私の人生にいてくれて、
有難うございました。
福岡に年末帰ったら
きっと会いに行きますね。
恭子
